1980年代に絶大な人気を誇った元巨人の助っ人、ウォーレン・クロマティ氏による『月刊ベースボールマガジン』の連載。巨人に在籍した7年間を通して関わった監督、コーチ、チームメート、ライバルなどとの交友録だ。第3回は同じ外国人選手として同時期に日本でプレーしたランディ・バースについて綴る。 守り抜きたい日本の文化

バーストはいい関係を築いた
1985年のバースは、
王貞治(当時巨人監督)さんが64年に達成したシーズン55本塁打の記録に限りなく迫っていた。54本を打ったところで、残りは2試合。しかも、巨人戦だ。僕はその年、肩の骨を折ってシーズン終了を待たずに帰国したので、その2試合は見ていない。だが1試合目は
江川卓が先発して抑え、2試合目は4回歩かされたと聞いている。
王さんは「敬遠の指示は出さなかった」とコメントしていたそうだが、王さんが言わなくても、日本人の心情からすれば、そうなって当然だ。外国人選手に、日本のレジェンドの記録を破らせるわけにはいかないのだ。翌86年の、王さんと並ぶ「7試合連続本塁打」も、同様に論争を巻き起こした。王さんも批判の的になった。
相撲界でも、ジェシー(元関脇・高見山大五郎)やモンゴル出身の力士たちの昇進の際、同じような論争が起きた。僕も、今は日本人の気持ちがよく分かる。それは日本人だけで守り抜きたい、日本の文化なのである。ただ一方で、「記録は破られるためにある」ことも事実なのだけれども。
バースと僕は、86年に首位打者を争った。最後はバースが打率.389で、首位打者を勝ち取った(2年連続三冠王)。僕は.363を打ったが、首位打者になれなかった。打率.360以上を打って首位打者を逃したのは、僕だけだそうだ。
バースと僕は「ライバル」と呼ばれていたけれども、あれはメディアが話題欲しさに作った文言だ。僕らはお互いライバルでなく、いい友達だと思っていた。
僕が
阪神戦でホームランを打ったときは、一塁を回るときバースの顔を見ながらガッツポーズをし、雄叫びを上げていた。バースはバースで、巨人戦にホームランを打ったら、二塁ベースの手前あたりでセンターの僕のほうに振り向きざま、ニカッと歯を見せて笑うのだ。僕はそれがおかしくてたまらなく、グラブで顔を隠して笑っていた。2人で食事をするときも、野球の話なんかしなかった。釣りとか日本での生活とか、ごく普通の友達同士の他愛ない話ばかりだった。
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