サイドスローになったのは、高校(花咲徳栄高)2年の冬ですね。それまでは野手をやっていたんです。入学したときはピッチャーだったんですけど、コントロールが悪過ぎてクビになって(苦笑)。ファーストとか内野手がメインでした。僕としてはとにかくベンチに入りたかったので、野手のほうが可能性があると思っていた。ただ、2年の冬に(岩井隆)監督から「ピッチャーをやれ。サイドスローをやれ」と。
やっぱり最初は難しかったですね。でも、監督に言われたし、やるしかないと。心を折られながらも(笑)、何とか。とはいえ、あの監督のひと言がなければ、今、プロ野球選手にはなっていないと思うので感謝です。
『週刊ベースボール』2024年6月17日号(2024年6月5日発売)より
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