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第22回 62年の巨人・王貞治 vs 打たれまくったセの投手|「対決」で振り返るプロ野球史

 

キャンプで一本足打法を試すも2日でお蔵入り


62年の一本足のフォーム。下半身の安定がよく分かる


 2004年春のことだったが、当時、ダイエー(現ソフトバンク)監督だった王貞治に、一本足打法について、少し話を聞いたことがあった。この独特の打法を自家薬籠中のものにできたのは、まず師匠の荒川博巨人コーチが毎日、大毎時代、右足をかなり上げて打つ左打者だったことが大きかった。教える方も、教わる方もスムーズな意見交換ができた。次に、「下半身が重量級で、上半身が軽量級」(王)だから、しっかり、一本足で立てたことが大きい。さらに「僕は一応、甲子園優勝投手なのだから、とにかく球数だけは人一倍投げている。ということは、投げた球数だけ、右足を上げ、左足一本で立ってきたということ。投手をやった者は、一本足に慣れているんだよ。というより、一本足が自然な状態なんだ」。

 筆者は、この3番目の説明に一番得心がいったのだが、考えてみれば、ノーステップで打つ打者以外は、大なり小なり右または左足を上げて打つものだ。その極限が王の一本足打法だった、と言ってもよいのではないだろうか。そして、それが大成功を収めたのは、先の3つの条件に恵まれたのと、本人の血のにじむような努力のおかげだった。

 入団4年目(62年)の王は、詰まったり、泳がされたりの自分のバッティングがイヤになっていた。この年からコーチになった早稲田実の大先輩・荒川博は、キャンプでようやくその原因を突き止めた。「バックスイングに入る始動が遅いから、打つときにバットの出が遅れるんだ」。なるほどこれでは差し込まれて詰まる。そうならないように、意識的に早く打とうとすると、今度は泳がされる。早く始動できて、詰まらず、泳がされもしない打法はないものか。つまり、王が一番いいタイミングで打てる打法である。荒川は、別に確信があったワケでもないが、「一本足で打ったらどうだ。こんな感じで」と王に言った。王は、その構えでスイングすると「ああ、これなら遅れずにいいタイミングで打てそうです」。しかし、フリー打撃で試すと、やはり、タイミングをうまく取れない。一本足打法はたった2日でお蔵入りとなった。

 このシーズン、王は、実は阪神との開幕戦で四番を任されている。前年、本塁打、打点の2冠を獲得している長嶋茂雄を差し置いての四番。これは、新人の59年6月25日の対阪神天覧試合で同点2ランしてから、相性抜群の小山正明が先発だったからだろう。前年の61年は.364と打ちまくっている。60年は4本塁打。しかし、巨人・川上哲治監督のせっかくの「親心」も子知らずで、プロ入り352試合目で初めて四番を打った記念すべき試合なのに、結果は4タコ。川上監督は4試合目まで我慢したが、5試合目は三番に。この間本塁打どころか長打も1本もないのでは、いたしかたなかった。

小山から7本、権藤博から3本。主力を総ナメ


苦手の大羽から本塁打した7月8日の広島戦[東京]の試合前、荒川コーチと


 出端をくじかれた王は、すっかり不振に陥り6月7日に9号本塁打したあと、6月30日まで15試合、67打席も本塁打が打てなかった。当然、ヒットも打てず、この間打率.180。打点もわずかに1。ここで師匠と弟子はイチかバチかで、お蔵入りしていた一本足打法を引っ張り出すことにした。それが7月1日の大洋戦(川崎)だった。

 この日は一番打者。なぜかこの年は一番が多く(与那嶺要を61年に中日に出してから、巨人はチーム内で“一番探し”をやっていた)、両チーム最初の打者として1回表の打席に立った。大洋の先発・稲川誠は、0-2とあっさり追い込み、3球勝負に出た。このストレートを王は一本足で右前にたたきつけた。3回表の第2打席は、初球、内角低めのストレートにタイミングがドンピシャリ。打球は右翼スタンドに飛び込んだ。一本足打法、ついに登場!しかし、翌日のスポーツマスコミは新打法をまったく報じなかった。王も「1試合だけでは」とそれには触れなかったのだろう。当時は、テレビはネット裏からの映像で打者の足の上げ下げはよく分からなかったこともあるだろう。新聞記者たちもネット裏から見ているから同様だ。

 自分のタイミングをつかんだ王は、それ以後、面白いようにホームランを連発した。15試合不発の男が、7月1日からの15試合では、何と7ホーマー。7月29日には大好きな小山から2ホーマー。さらに9月9日には、小山から3打席連続ホーマー。3本目は逆転の一打。チーム5得点のすべてをたたき出した。

 結局このシーズン、王は38本塁打をマークして初のキング輝いた。この38本は巨人の球団最多記録。やはり、王はただ者ではなかった。

 王はタイミングをすっかり自分のものにしたのに、セ・リーグの投手たちは前年までの王のバッティングのイメージで対戦していたから、ホームランを打たれ続けた。小山などは7発も食らっている。この年、5試合連続完封勝利を含む27勝をマーク、防御率1.66の大投手からである。小山の被本塁打は19本だから、その約37%を王が1人で打ったことになる。投手と打者の相性とは面白いもので、苦手だった左の大羽進(広島)からも2発。サイドスローの柿本実(中日)からは4発。30勝した権藤博(中日)からも3発だ。あの金田正一(国鉄)からは1本だったが、まあ、主力投手総ナメだ。

 王のすごいところは、ここからだった。川上監督はじめ、いろんな人が「いずれは、元のフォームに戻すべき」とすすめたが、王は頑として聞き入れず、わが道を行った(そのためには猛練習しかなかった)。だいたい、この世界、保守派に従ってうまく行ったためしがない。63年40本、64年55本と驚異的に本数を伸ばし、王貞治は、王貞治になった。

文=大内隆雄

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