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阪神・金本知憲監督が電撃辞任しました。私のときも辞任という形で退きました【デーブ大久保 さあ、話しましょう!】

 

田代打撃コーチ[中央]は私の意図を汲んでいただき、またご本人の意思で辞任の道を選びました。本当に申し訳なかったです/写真=BBM


 セ・リーグのCSファイナルステージに巨人が進出しました。高橋由伸監督辞任の中で、選手たちが奮起しました。この号ではファイナルの途中までしか話せません。もし、巨人が広島を破って日本シリーズに進出した場合、シリーズ前々日に行われるドラフト会議には、新旧どちらの監督が出るのでしょうか。

 さて、オリックス西村徳文監督、中日には与田剛監督が就任し、阪神金本知憲監督が電撃辞任。矢野燿大新監督での船出となりました。金本監督の辞任には正直びっくりしました。監督には「辞任、解任、休養」というさまざまな引き際があります。私が楽天一軍監督を辞めたとき(2015年)は、辞任という形でした。

 就任前、当時の星野仙一監督から監督を引き継いだのですが、二軍監督に任命されたときから、もしかしたら一軍の監督を“させられる”という予感はありました。そして案の定というか、一軍の監督に就きました。

 このとき、私は球団社長に「雇われての監督ですから、球団の意向に沿ったチーム作りをしていきます」と伝えました。それとともに「一つだけ約束してください。もし成績が悪くなったときに、一軍、二軍のコーチ陣の入れ替えだけはやらないでください」と。というのも、成績が悪いからと言って、入れ替えをしても何もチームはよくならないのが経験上分かっていたからです。むしろ雰囲気は悪くなる。球団側もそれを了承してくれたはずでした。

 開幕からチームの調子は悪くなかったのですが、徐々に成績が下がっていきます。何とか踏ん張ろうとしたのですが、なかなか食い止められない中、球団から話し合いを求められ「◎◎◎◎コーチの二軍降格」を言い渡されました。

「それだけは絶対にしないと言ったじゃないですか」と私も反論。再考するようにお願いをしました。しかし、数日後、結果のみを言いに球団幹部が監督室に来ました。「結果を言います。田代富雄打撃コーチの二軍降格です」と。◎◎◎◎コーチでなく田代さんでしたので、さらに絶句ですよ。言い分は何も通らないと絶望的になりました。それでも「田代さんにこのことを通達したら、絶対に辞任します。そうなるとチーム内はバラバラになります。球団としてはそうなってもいいのですか?」と問いただしました。

 それでも球団側は「決定事項ですから」というのみ。さらに球団の決定事項なのですから、本来は球団側から田代コーチに伝えるのが筋というものです。そのことを私は主張したのですが、聞き入れてもらえず、球団幹部は退出していきました。

 私は、重い足取りで田代コーチのところに行きました。田代さんの前に行くと「監督、何も言わなくていい。分かっている。大丈夫だから」と。今思い出すだけでも涙が出そうです。本当に申し訳ないのと、悔しいのと……。やはり、田代さんは辞任しました。それを受け、私もある決心をするのです。

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