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イチローの凄み(前編)【大島康徳の負くっか魂!!第98回】

 

仰木さん[右]がいてこそのブレークだったと思います


編集長は方向音痴?


 この間、編集長が僕の“仮住居”(現在、NEW大島邸を絶賛建設中です!)に打ち合わせに来たんですが、約束の時間になっても姿を現さない。少ししたら電話がかかってきたんで、寝坊して遅刻したのか(午前中のアポでした)と思ったら「大島さん、道が分からなくなりました」と情けない声……。

 少し前に一度来ていたし、そんなに複雑な場所じゃないんですけどね。少し経って着いたときには、「この間はサカモトの後ろをついていっただけなので……」と言い訳をしてました。マイ担当のさかもっちゃんですね。偉くなると、そうなる人もいるんですよ。すべてを部下に準備させて自分は何もしない。いつの間にか一人では何もできなくなり、店の入り口で案内を待ってポツンと立っているようなタイプが。

 実るほど、こうべを垂れる稲穂かな、です。いくら偉くなっても、自分の足で歩き、自分の頭で考えなきゃダメ。編集長、「ボーッと生きてんじゃねーよ」(BY チコちゃん)。

 まあ、そう言いながらも、この間、病院に行くとき、ほとんど体験のない満員電車に乗って、僕も思わず言葉が出ました。

「なんて日だ!」(BY バイきんぐ・小峠英二)

 あとで思いましたが、サラリーマンの方は、毎日の行き帰りをこんなギューギュー詰めの電車に乗っているんですよね。たまたま乗ったくらいで泣き言いったら怒られます。失礼しました。

 ともかく、実はまったく偉そうではなく、単なる方向音痴の編集長から、そのとき依頼を受けた今回のテーマが「イチロー」です。

 1994年、僕の現役ラストイヤーが「オリックス・イチロー」のデビュー兼ブレークイヤーでした。

 いまさら説明する必要もないでしょうが、92年、オリックスに入団した鈴木一朗君が、登録名をイチローに変え、当時の日本最多記録210安打を放った年です。

 僕も現役ですし、そんなに気にして見ていたわけではありませんが、バットコントロールが素晴らしく、体幹がしっかりし、足も速い。彼が素晴らしい素質をたくさん持っている選手であることはすぐ分かりました。同時に、もう一つ思ったのは、「メンタルが強いな」です。

 当時の彼は“振り子打法”と言われ、上げた足を一度、捕手側に振り込み、重心が前に移動していくフォームでした。解説者の皆さんからも、あれこれ言われていましたし、前年まではチーム内でも修正を指示されていたようです。ふつう18、19歳の選手が、「この打ち方はダメだ」と言われたら変えますよね。でも、イチローは変えず、結果的に二軍暮らしがメーンとなっていたと聞きます。それが、この94年は彼を認める指導者、つまり仰木彬さんに出会えた。これはものすごく大きかったと思います。仰木さんの、おそらく「結果さえ出してくれたら、どんなフォームでも関係ない」という考え方があってこそ、イチローのブレークがあったのだと思います。

 僕は逆に変えてしまった男です。若手時代、自分の持ち味はフルスイングという思いがありながらも、「当たれば飛ぶんだから、もっとコンパクトに振れ」と指導者に言われ、スイングを変えました。ただ、だからメンタルが弱かったかというと、強がりではなく、違うと思います。僕はとにかく試合に出たかったんです。そのためには、自分を変えてもいい、と思った。さらにいえば、ここからいろいろ試行錯誤したことは、長い野球人生を考えればプラスになったと思います。

わざと詰まらせた?


 これからは推測も交えての話になりますが、僕は、あの年、彼の振り子打法を見ながら、「この選手は自分を知っているな」とも思いました。先ほど書いたようなバットコントロールの巧みさ、脚力といった長所、また、体自体は細かったんでパワーは不足していたはずです。そんな長所と短所をすべて頭に入れたうえで、自分ができる最高のスイングで、安打を増やす、打率を上げることだけを考えたのが、あの当時であれば、振り子打法だったと思います。

 たぶん、当時も今も、彼は他人の評価を気にせず、自分が納得できない、いわゆる、みんながやってるからという常識を絶対に信じない選手だと思います。

 加えて、簡単にはマネできない発想と、それを具現化させる能力があります。重心が前に行くフォームにしても、当然、詰まる可能性は大きくなると思いますが、彼はそれを苦にしなかっただけではなく「わざと詰まらせた」という表現をしていたこともあります。打球の勢いを殺し、内野の頭を越えるようなヒットのイメージだと思います。同じバッターとして、それを聞いたときは衝撃的でした。

 もう一つ、彼のすごさは“今”に満足しないことです。ストイックな姿勢で、常により高いレベルを目指しながら、相手投手の攻めや自分の年齢、体の変化も考え、少しずつ変えていきました。あれだけ素晴らしい結果を出しながらも、“もっとこうしたら、もっと打てる”という気持ちをずっと持ち続けていたからこそだと思います。

 少し長くなったので、イチロー編は次回に続けさせていただきます。まとめて読みたかったという方は編集長に文句を言ってください。彼が道に迷わなければ、すぐ本題に入り、なんの問題もなかったんです。

 そう言えば、あの日、僕らの打ち合わせの姿をブログ『ズバリ! 大島くん』にも記事&写真でアップしました(写真はBYナオミさん=愛しの妻です)。

 その写真を見たときも思いましたが、僕は、ふだんと野球の現場にいるとき、野球を語るときの顔が明らかに違う(と思ってます)。皆さんもブログを見ていただきたいのですが、少しだけキリッとしてませんか。

 やっぱり、“野球”に関わる場所にいさせていただくことが、幸せなのだ、喜びなのだ、生き甲斐なのだと、自分の写真を見てあらためて気づかされます。このときのブログ『生き甲斐』をご覧になった方は、ぜひ祭(=トイプードル♂)の写真にも注目を。2人のど真ん中に座って、カメラ目線です。さすが!

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