家族そろって日本に馴染み、溶け込んでいる。1年目から安定した成績を挙げているのは、その事実が何よりも大きいだろう。31歳のキューバ人はできれば現役生活を、大好きな日本で終えたいと考えている。 鋭いスイングから強い打球を打つことを心掛けている。竜の頼れる四番
愛犬の名前は「フジ」
来日5年目。今やドラゴンズの歴代助っ人ナンバーワンという声も、ファンの間から聞こえてくる。プレーヤーとしての実績はもちろん、その愛される人柄も含めて。これだけ愛されるには理由がある。それは
ビシエド自身が日本が大好きだということが大きい。
今年7月に撮影した家族写真がある。ビシエドとアナイス夫人、長男のダ
ヤン・ジュニア君、長女のダヤナちゃん、次男のブライアン君の家族5人で収まった写真。全員がなんと和装なのだ。特別なイベントがあって撮った写真ではない。家族写真を撮ろうということになって、アナイス夫人の「せっかくなら和装で」との提案に、ビシエドはもちろん子どもたちも快諾した。日本好きのビシエドならではで、和装はよく似合い、別カットでは刀(本物ではない)も手にしたそうだ。
今年3月には新しい家族を迎えた。それは豆柴の1匹の子犬。自宅のあるアメリカのフロリダでは3匹の犬を飼っているが、ダヤン・ジュニア君ら子どもたちのたってのお願いで、日本でも犬を飼うことになった。実はビシエドはちょっぴり犬が苦手だという。それでも愛する子どもたちのお願いに首を縦に振った。この子犬の名前が『フジ』。ビシエド家全員が日本の名峰、富士山が大好きということで、そこから名付けられた。ペットの名前にも日本への思いが込められていた。
ビシエド一家。左からアナイス夫人、ブライアン君、ダヤナちゃん、ダヤン・ジュニア君、ビシエド/写真=球団提供
息子はG坂本ファン
2016年に来日。メジャー・リーグのホワイトソックスなどでプレーした実績どおりに、いきなり1年目から22本塁打をマークした。17年は87試合の出場にとどまったが、この年も18本塁打。18年は26本塁打で、打率.348の高打率も残して首位打者と最多安打のタイトルを手にしている。
とにかく練習熱心。勤勉と言われる日本人よりも真面目と評されるほどで、昨年は「とにかくまずは全試合に出ること。そうすれば結果は付いてくる」と常々目標に掲げていた全試合出場を果たした。
チームに欠かせない存在となったビシエドが、昨年のオフは外国人としては異例の動きで話題になった。多くのメディアでも取り上げられたが、オフになってもアメリカにすぐには帰国せず、球団行事のファン感謝デー、球団納会に参加。NPBのコンベンションにも出席した。通例では外国人選手はシーズンが終わると、早々と(シーズン最終戦の翌日にも)帰国の途に就く。ビシエドはダヤン・ジュニア君がインターナショナルスクールに通っており、その授業が12月まであったためとはいえ、すぐに帰国せずに、国内でのトレーニングの合間を縫って、積極的にイベントに顔を出したのだ。
ナゴヤドームで行われたファン感謝デーでは、一生懸命、三輪車をこぐなど大ハッスル。ファンから大きな声援と、拍手を受けただけでなく、さらには笑いを誘い、盛り上げた。「ファンと近くで触れ合えて、『ずっと名古屋にいて!』と言ってもらえてうれしいよ」。本人も何よりも大事にするファンに喜んでもらえてご満悦だった。球団納会にはほかの選手と同じくビシッとスーツ姿で現れ、普段はなかなか接することができない球団幹部や球団職員たちと時間をともにした。郷に入れば郷に従えとばかりに、違和感なく過ごした。
コンベンションでは家族を伴って、タキシード姿で登場。こういうイベント、行事への参加はすべて、ファンや周囲のことを思っての行動だった。余談ではあるが、ダヤン・ジュニア君は
巨人の
坂本勇人の大ファン。コンベンションで、坂本と記念撮影し、今年になってサインももらっている。
規律を重んじる精神
今ではビシエドは普通にはしを使ってお弁当も食べる。生魚だって問題ない。日本語も徐々に理解できるようになってきているそうだ。おいしいパン屋さんがあると聞くと、子どもと自転車でさっそうと名古屋の街を走り、買いに行くこともある。まるで日本人だ。家族もそれは同じ。ダヤン・ジュニア君は白米が大好き。週1回、日本語学校に通い、片仮名が書けるほどだ。アナイス夫人は週に1回、プールに通っている。生活に不自由はなく、順応している。
ビシエドは日本について、「キューバも厳しかったが、日本も厳しい。規律がしっかりしている」とうなずく。もともと、社会主義国のキューバ出身とあって、規律を重んじる。日本の教育などにも共感するから、息子には日本で学ばせている。今年3月下旬に、アナイス夫人が国の難病に指定されている『好酸球性副鼻腔炎』の手術を三重県内の病院で受けた。6時間にも及ぶ手術だったが、これも日本の医療体制を信頼するから、決断できた。
「
中日で引退できれば」と公言しているように、生涯ドラゴンズを宣言している。日本を、名古屋を、ドラゴンズを、そしてファンを愛する男。日本を愛するからこそ、いろいろなことを受け入れることができた。それが成功へと結び付いている。そして、何よりもファンから愛されることにつながっている。