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ソフトバンク・高谷裕亮 不変のスタイル

 

故障を抱える左ヒザの状態が上がらないときも、チームに新戦力が加わっても、決して変わることがない。日々、黙々と、試合に向けての準備を怠らず、目の前のことに、ただ集中して全力を尽くす。1日も長く現役を続けるため──。見据えているのは『今』だけだ。
文=福谷佑介(スポーツライター) 写真=小山真司、湯浅芳昭、BBM


腐ったら、その瞬間に終わり


 限られた出番の中で結果を残す。これほどに難しいことはない。いつ来るか分からないそのときに備えて最善の準備をし、心身ともに整え続ける。決して気を緩めることなく、そして腐ることなく、日々を過ごしていく。それができずに、プロの世界を去っていく選手も数多くいるのだが──。

 プロとしての模範のように、日々の準備を怠らず、ひとたび試合に出れば、何かを起こしてくれる。そんな期待感を抱かせるベテランが、ソフトバンクにいる。ホークス一筋14年。今年11月13日には39歳を迎える高谷裕亮である。

 2020年8月26日のオリックス戦(Pay Pay ドーム)でスタメンマスクをかぶると、2点ビハインドの4回に今季1号となる同点2ランを放ち、チームの逆転勝利に貢献した。9月12日の西武戦(同)では2回に先制の適時打、4点リードの3回に今季2号の3ランを放ち4打点の大暴れ。この日が初日となったホークスの人気イベント『鷹の祭典』を“高谷の祭典”に変えた。

 不惑を目前とした高谷の出番は限られる。チームには27歳と若い正捕手の甲斐拓也が。高谷の立ち位置は甲斐を支える第2捕手だ。主にベテランの和田毅とコンビを組み、週に1回、ないし2回スタメンマスクをかぶり、残る試合はベンチから戦況を見守り、そして出番に備える。

投手・和田(写真左)とのコンビは球界最年長。ベテランらしく息の合ったコンビネーションを見せている


 出た試合でサラリと結果を残すという、その芸当は、日々の準備の賜物にほかならない。黙々とそれをできるところに高谷裕亮という男のすごさがあり、ソフトバンクというタレントぞろいのチームの中で確固たる地位を築き、現役最年長野手になるまでプレーを続けてこられた素養でもある。

「自分が出てないときも、もちろん試合をしっかり見ます。相手の状態とか、攻め方など、自分の中でこういう感じかなと考えながら常に見ている。そして、試合に出る、出ないに関わらず体の準備はします。ランニングもそうですし、ヒザが悪いのもあるので量とかはその日によって変わりますけど、体の準備は変わらずやっているつもりでいます。いざ行けと言われたときに体が動きませんというのだけはしたくないですし、歳を重ねてきたからと言い訳はしたくない。やれる範囲でやるというのは意識しています」

 ホームゲームではチームの練習開始時間から逆算してドームに来て入念に体を動かす。チーム練習を行ったあとはミーティングなどで相手打者の分析に充て、試合を終えて帰宅した後も映像を確認する。遠征への移動中も、次カードの相手選手の研究やデータチェックの時間。捕手という役割もあって、試合に出る、出ないに関係なく、1日のほとんどはできる限り野球のために費やされる。

 高谷の一風変わった経歴は知られたところだ。最終的なプロ入り直前のキャリアは白鴎大卒だが、その時点ですでに25歳だった。栃木県の小山北桜高から富士重工業に進んだが、左ヒザの故障により、わずか2年で退社。一度は野球をあきらめて実家の造園会社で働いたものの、情熱が捨てられずに、1年の浪人の末に白鴎大に進学したのだ。規定により1年間は公式戦には出場できなかったが、2年春から主将に。関甲新リーグを代表する強打の捕手として名を馳せ、06年秋の大学生・社会人ドラフト3巡目でホークスの門をたたいた。

 異色の道を歩んでプロ入りし、今ではチームの最年長野手になっている。高谷本人でさえ「まさか野手最年長までできるとは思わなかったですね」と素直に驚く。「目標として40歳くらいまでやりたい、長くやりたいというのはありましたけど、最初はうまくいかないことばっかりでした。正直いつまでできるかな、そろそろヤバイかなとも思いました」と“若手”だったころを振り返るが、そのときも、そして今もまた、変わらぬ信念のもとで日々を過ごしている。それが高谷の生き様でもある。

「やることは変わらずに『腐ったら終わりだ』と先輩方からも言っていただいていました。準備を怠らずにやれと、当時の二軍の雁の巣球場でいろいろな話をしていただいて『腐ったら腐ったとき、その瞬間に終わりだから』と。だから準備だけは怠らずに意識してできるようになりましたね。自分でやることはやって、使うかどうかは監督の判断なので。自分であのときこうしておけばよかったと思いたくなかった。それに尽きます」

ライバル関係、自分の立ち位置


 プロ1年目から14年連続で一軍公式戦に出場してはいるが、レギュラーの座をつかみ取ったことはない。2年目の08年に56試合にスタメン出場するも、定位置を確保できず。15年はキャリア最多の93試合、17年にも92試合に出場。しかし、スタメンは15年が57試合、17年が61試合だった。09年は田上秀則(現大産大高監督)がブレークし、11年には西武から細川亨(現ロッテ)が、14年には日本ハムから鶴岡慎也(現日本ハム)がFAで加入した。レギュラー奪取を目指す前には、次々にそれを阻むライバルが現れた。

「2年目で王(王貞治)会長が監督を退任された年に結構試合に出させてもらったんですが、次の年にレギュラーをつかめなくて……。田上さんがブレークして、細川さんや鶴岡が来て。やっぱり厳しい世界だなと痛感しましたし、まあ、その辺で自分の力のなさを感じることはありました」

 ただ、チームの補強によって難しい状況に置かれたとしても、高谷自身はやることを決して変えなかった。「やれることは全うして、あとは準備して自分の出番に備えるということをやっていました」

 常に準備を怠らず、来たるべきときに備える。それはプロ入りからずっと続けてきた不変のスタイルであり、39歳を迎える今季もなお、一軍の第一線で活躍できる理由でもある。

 とはいえ、プロの世界は限られたポジションを奪い合う厳しい世界だ。時にライバルを蹴落とし、定位置の座を奪わなければ生き残っていけない。本来であれば、現状の高谷と甲斐もライバル関係であるはず。ただ、高谷は「僕は自分の立ち位置がどうとか考えたことないんですよね。出ないから気を抜くとかではなく、出なくてもやることは一緒。そう考えています」と、あっさりと答える。

 ベテランとなった38歳がこう考えるには、理由がある。慢性的に抱える左ヒザの故障だ。16年のシーズン中に違和感を訴えて離脱。7月に半月板を切除する手術を受けた。このシーズン、一軍は日本ハムの猛追を受ける中、9月4日には正捕手の細川亨が故障で離脱した。高谷は急ピッチでリハビリを進め、10日に一軍に復帰。勝負の終盤戦に間に合わせた。ただ、このときのケガが今もなお尾を引いている。

「こう言ったらプロとして失格かもしれないですけど、今の僕のヒザの状態で拓也と同じ100何十試合をフルで出ろと言われたら……。無理とは言わないですけど、正直なんとも言えないんです」。“爆弾”を抱えているため、相次ぐ連戦にはどうしても不安が残る。休養も挟みながら出場するのが現実的な選択肢になるのは仕方がないことなのだ。

同じポジションを担うチームメートをライバルだとは考えていない。特に正捕手・甲斐(右写真・右から2番目)とはお互いに切磋琢磨する仲だ


 こうした状況下にあって、高谷は甲斐との関係性についてこう語る。

「お互い切磋琢磨ですよね。僕もまだ成長しないといけないところもありますし、今、この首位という位置にいるというのはもちろん拓也の頑張りがあるから。彼もすごく勉強していますし、すごく負けず嫌いで責任感も強い男。負けたときはすごく悔しい思いをしている。困ったときに手を差し伸べられることができればいいなと思いますし、僕がどうかな、と思うときに、拓也が感じているものがあるので伝えてくれるとありがたいときもある」

 ひと回り近く離れた後輩とは、互いが支え合い、そして高め合う間柄だ。


思い描く将来ビジョン


 キャッチャーとは難しいポジションだ。投手が打たれたときにはそのリードが槍(やり)玉にあがるが、抑えたときにはなかなか評価されない。守備の面でヒーローになることはなかなかなく、称賛されることも少ない。プロで14年間、生き残ってきた高谷でさえも「これはもうキャッチャーやっていて宿命ですよね。そういう評価のされ方は付きまとうものなので、それに対してはあまり考えたことがありません。こればっかりはしょうがないこと。甘く行ったから打たれました、しっかり投げたから抑えられました、それだけじゃキャッチャーはダメだと思うので。投手が苦しんでいるときこそうまく引き出してあげるのが、キャッチャーの役目の1つだと思います」と受け入れるしかない。

 ベテランの域に足を踏み入れても、現役に対するこだわりは強い。長くプレーする源にあるのは「1年でも長く野球をやっている姿を家族に見せたいというのが第一」というモチベーション。今季、バッテリーを組むことが多かった投手最年長の和田からも刺激を受け、「2月で40歳になる人があれだけランニングをして、マウンドに上がったらあれだけの球を投げてきて……。ポジションは違うし、僕のほうが1個下ですけど、負けてられないと思いますよね」と笑う。1年でも長くプレーを続ける。ヒザの故障はあれども、とことんやり抜く気概でいる。

 紆余曲折のあったプロ14年間だが、一度も「引退」の2文字が頭をよぎったことは「ない」と言う。「これで終わりだなと思ったことはないですね。よぎった時点でメンタルも持っていかれてしまうと思うので」。ヒザの状態が上がらないときも、新たなライバルがチームに加わったときも、常に腐らず、やるべきことを全うして生き抜いてきた。

 来年11月には40歳になり、キャリアも晩年に差し掛かる。気配りができて、先輩からも後輩からも人望は厚い。コーチ、裏方、フロント……何でもできそうな印象を持たれる高谷は、将来のビジョンをどう思い描くのか。

「みんなにもいろいろなことを言われますけど、あまり考えたことがないんですよね。今は、今置かれている立場で役割を全うする、それだけしか考えていないですね」。これも高谷の“生き様”か。目の前のことにただ集中し、全力を尽くす。それはどんなときでも変わらないようだ。

 新型コロナウイルス感染拡大による異例続きのシーズンも終盤に差し掛かる。チームは3年ぶりのリーグ優勝に向けて厳しい戦いを繰り広げている。

時折、笑顔も見せながら練習をこなす高谷。年齢を言い訳にせず、今日もひたすら“準備”に励む


「まずは2年連続でリーグ優勝を逃しているので、そこはしっかりと達成したい。コロナでこれまでと違ったシーズンになって、ファンの方もモヤモヤしていると思う。僕らにとっても難しいシーズンではあるんですけど、勝って違った喜びを味わいたい。こういう難しいシーズンを乗り切れたことを、また自信にできるようにしたいです」

 飽くなき向上心と探究心。来たるべき歓喜の瞬間に向けて、高谷は今日もまた、やるべきことに汗を流す。

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