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<日本代表指揮官が語る>井端弘和(侍ジャパン監督)インタビュー 侍の未来──「『勝たないといけない』というプレッシャーは自分だけが感じながら、これからもやっていこうと思う」

 


理想と現実


選手・コーチとして日の丸の重みを誰よりも知る新指揮官は、初陣となったアジアプロ野球チャンピオンシップ2023で新生・侍ジャパンを見事に大会連覇へ導いた。だが、その視線は、はるか先に据えられている。24年のプレミア12を経て、26年のWBC、28年のロサンゼルス五輪へと侍の魂をつないでいく。
取材・構成=杉浦多夢 写真=大泉謙也、桜井ひとし

 世界一の歓喜に包まれたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)から2023年シーズンを経て、新生・侍ジャパンの指揮官の座に就くと、24歳以下がベースとなるアジアプロ野球チャンピオンシップ(APBC)で見事に連覇を達成。若き侍たちに貴重な経験と勝利の喜びを味わわせることに成功した。次なるターゲットは24年11月に開催されるプレミア12。自身の監督としての契約は1年ごとに更新するという異例のものだけに、区切りの大会となる可能性はゼロではない。だが、指揮官はその先の26年WBC、28年ロサンゼルス五輪までを見越し、WBC優勝の遺産を引き継ぎながら、侍ジャパンとしての土台を持続可能で堅固なものとすることに腐心している。そのための方策とビジョン、そして指揮官自身の野球観とは。

──監督としての初陣となったアジアプロ野球チャンピオンシップ優勝から少し時間がたちましたが、あらためて振り返るとどんな大会でしたか。

井端 僕自身が監督として初めての大会でしたし、ほとんどの選手が代表は初めての経験で、ある程度は選手を育てるという位置付けでした。そこで「優勝できたらいいな」くらいの感覚だったんですけど、あらためて優勝して周囲の反応を見ていると、「やっぱり勝たないといけなかったんだな」というのは感じましたね。

──そうした思いで臨んだから、重圧を感じることなく戦えたのでしょうか。

井端 自分で「何が何でも勝たないと」と思うことで、選手や周囲にそうした感覚が浸透してしまうのが怖かったというのはあります。「優勝できたらいいな」くらいのスタンスでやっていたのがちょうどよかったのかなと思いますね。まず、若い選手たちが国際舞台を経験できたということが一番大きかったですし、経験をさせながらも勝たせるのが監督の仕事なので。「勝たないといけない」というプレッシャーは自分だけが感じながら、これからもやっていこうと思います。

──選手起用のマネジメントも鮮やかでした。連勝で決勝進出を決め、第3戦では出番のなかった野手全員に国際舞台を経験させ、決勝への準備を整えました。

井端 連勝したことで、第3戦は試すことができたのはよかったですね。全員に経験させることは最初の最低ラインで、本当は全員がヒットを打つことが目標だったんですけど。そこはちょっと達成できませんでしたが、打った打てなかったではなく、打った選手も打てなかった選手も「もっとうまくなりたい」と思うことで、来春のキャンプでの取り組み方が変わると思いますし、レギュラーシーズンで2023年以上の成績を出して、また代表に選ばれるんだという気持ちに全員がなってくれれば、今回の代表に呼んだ価値があったということになります。

──今大会は球数制限がなかったですが、投手陣も第2先発を指名するなど国際大会仕様の継投策に見えました。

井端 レギュラーシーズンが終わってから1カ月くらいたっていましたし、調整的にも一度落として、そこからつくってきてもらう形になりました。当然、つくり切れない、状態が上がってこないという可能性もあったので、第2先発をつくっておいたほうがいいなと思いました。

──そうしたマネジメント面を含めた戦略・戦術において、「井端監督のやりたい野球」と「侍ジャパン監督としてやる野球」というのは、やはり違う部分が出てくるのでしょうか。

井端 「やりたい野球」と言うのであれば、僕の中では「スピード&パワー」ですよね。12歳以下の代表監督を引き受けたときに、それは掲げていました。世界で戦うために、これからうまくなっていく子どもたちには小技ではなく、世界に通用するパワーとスピードを兼ね備えてもらいたいと思っていました。タイブレークの場面になってもバントという選択肢はありませんでしたから。それはトップチームになっても変わらないですよ。あくまで理想は、ですが。

──やはり理想と現実は変わってくるのですね。

井端 理想を押し付ける必要もないですしね。代表の場合は、どういう野球をするかというのは選手たちの顔を見ないと僕も自分の中でイメージが湧いてこない。NPBの監督なら、春のキャンプから選手たちの動きを見て、チームとしてのイメージができますが、代表の場合は次の大会に同じメンバーであるとは限らない。そうではないことのほうが多い。やりたい野球を決めてつけても、選手が1人代われば、できる野球も変わってくる。メンバー編成があって、そこからやるべき野球、できる野球のイメージが湧いてくるのだと思います。

新生・侍ジャパンはアジアプロ野球チャンピオンシップで大会連覇。若き侍たちに経験を積ませながら優勝の喜びを与えるという最初のミッションに成功した


伝えることの大切さ


──理想と現実という前提がある中でも、APBCにおいては犠打の使い方、使いどころが印象的でした。

井端 国際大会であっても、送りバントを使わないで勝てるのであれば楽ですけどね(笑)。みんなが好きに打って勝てるのであれば、そうしたいと思います。ただ、国際大会で相手も勝とうとしている中で、いいピッチャーが出てきたらなかなか簡単に得点は奪えない。そこで足であったり、バントであったりというのは戦略上、大事になってきます。WBCでも、打って勝ったイメージがありますけど、クローズアップされていないだけで、送るときはきっちり送っていましたから。

──APBCでは第3戦までは犠打を使わず、決勝で2つの犠打がありました。6回無死二塁での門脇誠選手(巨人)、延長10回タイブレーク(無死一、二塁からのスタート)での古賀悠斗選手(西武)、いずれも初球を一発で決めました。

井端 決勝で初めて送りバントを2度使って、どちらも得点につながりました。ああいった舞台できっちり送ることができるのはすごいですし、送った選手が生きるのも次のバッターがしっかりランナーを返しているから。いい流れになったのかなと思います。前のバッターがきっちりバントを決めると、次のバッターも「何とかしないといけない」という気持ちがより出てきますから。そういった意味でも、2人のバントというのは大きかったと思います。

──古賀選手には、タイブレークでのピンチバンターの可能性を事前に伝えていたそうですね。

井端 タイブレークになったときを考えながらメンバーを見たときに、半分くらいがシーズン中にバント経験のない選手でした。それでも1点を取れば勝ち、1点を追う展開ならどうする、と考えたときに先頭がよほどのバッターでない限りはバントだと思ったので。シーズン中のデータを見ると古賀選手が一番企画していて、成功率も21分の17(.810)と高かった。ただ石橋選手(石橋康太中日)は7分の6(.857)。企画数、経験が多いほうをとるか、成功率を高いほうをとるか、という感じでした。

──その中で古賀選手に託した理由は。

井端 宮崎での秋季キャンプのときからバントの可能性を伝えていたのですが、古賀選手の反応が良かったんですよ。毎日、あいさつ代わりに「バントあるぞ」と言っていたら、本人もその気になっていった。練習のときもパッと見たらバント練習ばかりやっている(笑)。準備をしてくれているのは分かっていたし、当日も練習前にいつもの感じで声を掛けていました。だから実際に2対2の7回くらいから、「このまま行ったらあるぞ」とあらためて早めに伝えることができたし、古賀選手もメンタル面を含めて準備ができていたのかなと思います。

──声掛けという意味では、3対3の一死満塁からサヨナラ打を放った門脇選手にも打席に入る直前、「いつもどおり行け」とアドバイスを送りました。

井端 レギュラーシーズンを見ていても、合宿でバッティング練習を見ていても、決勝のときのように大振りになるバッターではなかった。あの場面で、本人としてもベストなスイングをして打てないなら納得できるんでしょうけど、あのときの門脇選手は違っていたので。これはちょっと声を掛けないと、と思ったんですけど。たったそれだけで元に戻ることができるのは、気持ちのコントロールのうまさ、野球センスというところがあらためてすごいなと思いました。

──古賀選手や門脇選手へのアプローチをはじめとする普段からのコミュニケーションが、侍ジャパンの指揮官としても大事になってくるということですね。

井端 たとえば古賀選手にしても、直前とか土壇場で「代打でバント」と言われるよりは、2週間前からあいさつ代わりに言われていれば頭に残ると思いますしね。最初は本人も冗談に聞こえていたかもしれませんが、それくらいの感覚であっても、伝えるということは非常に大事なことかなと思っています。

決勝のタイブレークでは古賀へ事前にピンチバンターの可能性を伝え[上]、サヨナラ打を放った門脇には的確なアドバイスを送って平常心を取り戻させた[下]。コミュニケーション能力、モチベーターとしての力も井端監督の武器となる


──井端監督の野球観、やるべき野球という意味で、ご自身の現役時代の経験も含めて二番打者に対しての理想像はありますか。

井端 いや、ないですよ。一番打者が誰かによっても変わってくるものですし、もちろん二番にどのようなタイプを置くかでも変わってくる。ただ逆に、二番だから「こうやらないといけない」というふうに普段のバッティングを変えられてしまうのは困る。こちらとしては、今までどおりに打ってくれれば二番としても機能する、と思って二番に置くわけですから。そこでバッティングを変えられてしまうと、こちらの意図とは違ったものになってしまう。

──今大会では小園海斗選手(広島)を主に二番で起用しました。

井端 一番でも三番でも、五番でも自分のバッティングが変わらない。素晴らしかったですね。今回は二番で起用しましたが、何番でも打つことができるので、すごく使いやすい、ありがたい選手だなと思います。

──WBCでは近藤健介選手(ソフトバンク)が二番としてつなぎ役で素晴らしい働きでした。どう見ていましたか。

井端 そもそも一番から五番までが左バッターでしたからね。あのクラスになれば5人並んでも(相手投手の)左右関係ない。その中で二番がヒットも打てるし長打も打てる。何より、初めての対戦が多い国際試合では、近藤選手のように粘れてフォアボールでつなぐことができるのは大きい。後ろが大谷選手(大谷翔平、現ドジャース)、吉田選手(吉田正尚、レッドソックス)、村上選手(村上宗隆ヤクルト)ですからね。稲葉(稲葉篤紀)監督のときに代表へ呼んでいたときから、ああいった活躍は随所に見せてくれていたので、やっぱりさすがだなと思います。

経験を積ませるために


──大谷選手はWBCでの活躍にとどまらず、MLBでも最高の選手の1人になりました。大谷選手の存在が日本野球、侍ジャパンの未来に与える好影響はどんなところにあると思いますか。

井端 野球に限らず、お金の話で言えばプロスポーツでナンバーワンになったわけですから。日本選手が世界でナンバーワンになれたというところでは、「自分もそうなれるんじゃないか」「そうなりたい」と思っている子どもがたくさんいると思います。メジャーでもトップクラスの日本人選手というのが、ピッチャーだけではなく野手でもどんどん出てくると、日本野球はさらに進化していく。その選手たちを見た子どもが「野球をやりたい」となってさらに発展していく。だからその先頭を走っている大谷選手には、さらに突き抜けてもらって、突っ走っていってほしいなと思いますよね。

──アンダー世代の指導の経験を踏まえて、子どもたちの意識も変化してきているのでしょうか。

井端 やっぱり12歳以下の指導をしていても、「好きな選手は」と聞くと、日本人ではないメジャー・リーガーの名前が出てきたりしていました。それだけ子どもたちにもメジャー・リーグというのは浸透しています。日本の野球だけでなく、自然と世界を見据えているのかなというのは感じますし、目指すところは高くていいのかなと思います。

──あらためて未来の侍ジャパンについてですが、24年のプレミア12に向けて「欲を言えば今回のAPBCのメンバーの半分以上が入ってほしい」という言葉がありました。

井端 今回のメンバーは、オーバーエージ枠はありましたが、基本的には24歳以下の選手たちでした。プレミア12で優勝することだけを考えるなら、その時点で呼べるフルメンバーを集めればいいんですが、次のWBCは26年です。さらにその先は28年がロサンゼルス五輪で、その前年には予選があります。4年後、5年後を見据えていかなければならない。今、24歳の選手たちにとって4年後は28歳。一番、選手としていい時期になります。だから今回のAPBCを戦った選手たちをはじめとするこの年代に、しっかりと経験を積ませるのが自分の仕事かなと思っています。

──24年のプレミア12はそういった視点でメンバー選考を行うのですね。

井端 プレミア12では中南米の国を含めた世界を相手に戦うことができます。そこでの経験があれば、26年のWBCで「国際大会は初めてです」「APBCしか経験がありません」というよりは、いろいろな意味で少し楽になります。

──WBC組をはじめとしたトップ選手たちと24歳以下世代の融合はどうイメージされていますか。

井端 たとえば先ほどお話に出た近藤選手はもちろん、依然としてトップクラスの選手ですし、源田選手(源田壮亮、西武)や甲斐選手(甲斐拓也、ソフトバンク)にはまだまだ守備では誰も勝つことはできない。それなのに呼ばないのか、ということになるかもしれませんが、彼らはすでに十分な経験値があります。24年のプレミア12に出場しなくても、26年のWBCに出場することになればしっかりと力を発揮してくれるはずです。一方で、たとえば岡本選手(岡本和真、巨人)にはWBCでの経験しかない。国際舞台という意味では、本人的にも未知な部分があるかもしれない。そういった選手は次のプレミア12にも呼ばなければいけない。そうした前提の上で現在24、25歳くらいの選手がベースになっていかないといけないのかなと思います。

──侍ジャパンの監督就任会見では「WBC優勝は引き継いでいかなければならない」とおっしゃっていました。具体的にはどんな部分でしょうか。

井端 代表チームというのはどの国であっても、急造チームなわけです。その中で(オールプロになった)長嶋監督(長嶋茂雄、現巨人終身名誉監督)の時代から始まり、これだけの好成績を残してきました。急造チームが、どれだけ早くチームとしてまとまることができるか。その部分で日本は優れているし、一番大事にしていきたい部分です。だから今回のAPBCでもWBC組から牧選手(牧秀悟DeNA)だけは呼ばせてもらいました。やっぱりキャンプの初日から牧選手はどっしり構えてくれましたし、牧選手を中心に自然とチームになっていった。その点は狙いどおりだったなと思いますし、ありがたかったですね。あらためて、どれだけ早くチームが一つになれるか、というのは大事なことだと思っています。

──最後に24年のビジョンをあらためて聞かせてください。

井端 もちろんプレミア12がありますから、先ほどもお伝えしたとおり、選手たちにはさらに経験を積ませることができればと思います。WBC、オリンピック予選、そしてロサンゼルス五輪とつながっていく中で、選手たちに「プレミア12で経験できてよかった」と思ってもらえるような1年、大会にしたいですね。自分の心の中だけでは優勝を目指しながら、選手には思い切ってプレーしてもらえる環境をつくっていきたいです。


PROFILE
いばた・ひろかず●1975年5月12日生まれ。神奈川県出身。右投右打。堀越高、亜大を経て98年にドラフト5位で中日へ入団。守備の名手として遊撃手部門で7度のゴールデン・グラブ賞に輝き、しぶとい打撃で通算1912安打をマーク。2013年のWBCをはじめ侍ジャパンでも活躍した。14年に巨人へ移籍し、翌15年限りで現役を引退。16〜18年は巨人でコーチ。日本代表では17年から21年の東京五輪までコーチを務め、U-12代表監督を経て23年10月にトップチーム監督に就任。アジアプロ野球チャンピオンシップで連覇に導いた。

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