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新人時代に印象として残っているのが合同自主トレーニングです。若手は自覚を持ってキャンプイン前までの自主トレーニングを【辻発彦のはっちゃんネル】

 

86年の西武合同自主トレの風景。新人の清原和博らが西武第二球場で走り込みをしている[写真=BBM]


 私は今から40年前の1984年に日通浦和からドラフト2位で西武に入団してプロ野球人生をスタートさせました。新人時代に印象として残っているのが、合同自主トレーニングです。当時は現在と違い、キャンプ前の1月15日から全選手が集まって練習を始めていました。

 トレーニングの中で、記憶に焼き付いているのは「どれだけ走るんだ」ということでしたね。西武第2球場(現CAR3219フィールド)の芝生の個所に1周200メートルのトラックをつくって、ひたすら走っていたことが思い出されます。

 1日に400メートル、300メートル、200メートルを各何十本単位と気が遠くなるような本数でした。トレーニングコーチから「今日は軽めのランニングだから」と言われたときは一瞬喜びましたが、蓋を開けたら100メートル100本でした(笑)。ランニングは4人1組で走るのですが、新人は走るのは必然的にアウトコース、もちろん走る距離は一番長くなります(苦笑)。それでも遅れないようにと必死に走りました。

 私は25歳でのプロ入りで、1年目から勝負をかけて、結果を出さないといけない立場。私は一軍キャンプに選出されたかったので、首脳陣にアピールしなければいけないという気持ちだけでした。

 ランニングだけで練習は終わりではありません。その後、キャッチボールやノック、室内練習場では補強トレーニングを行いました。補強トレーニングは、現代のように器具を使うのではなく、ジャンプ・スクワットや二人一組での馬跳びなどを繰り返す原始的な練習内容でした。当時のオフは、しっかり休むということが風潮。12月に体を本格的に動かすこともせず休ませて、1月の合同自主トレーニングでランニングを多く取り入れて、春季キャンプまでの約2週間でしっかり体づくりをすることが目的としてあったのでしょう。

 先輩方と一緒に練習を行っていたので、練習の疲れとは別に気疲れもありました。1年目で練習の流れを把握していなく、抜くというか要領が分からなかったということだと思います。心身ともにぐったりと疲れ、寝るとすぐに朝を迎える。そのような日々の繰り返しで、毎日が本当に大変だったことを覚えています。

 現在はルーキーだけが集まって1月上旬からの新人合同自主トレーニングとして始動しています。トレーニングコーチやコンディショニングコーチがつくったトレーニング方法で日々練習を重ねていきます。ケガをしないように、頑張り過ぎる選手に対してはブレーキをかける。昔とはだいぶ状況は変わってきています。

 監督やコーチの立場で言えば、春季キャンプ初日に選手の何を見るかと言うと、全力で走ったり・投げたり・打ったり、野球技ができるか? ということです。ベテランは別にして、若手は自覚を持ってキャンプイン前までの自主トレーニングを過ごさなければいけません。その点は、昔も今も変わらないはずです。

 今年の新人選手で注目したいのは、やはり大卒投手でしょう。武内夏暉投手(西武)や常廣羽也斗投手(広島)らドラフト1位で8人の大卒投手が指名されました。彼らが充実した自主トレーニングを過ごしてどのようにキャンプインすることができるか、非常に楽しみです。

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