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<広陵高スペシャル座談会 恩師を訪ねて>宗山塁(明大・内野手)×中井哲之(広陵高・監督)×渡部聖弥(大商大・外野手) 「ありがとう」の意味

 

[左]宗山塁[中央]中井哲之[右]渡部聖弥


“聖地”を超越した場所


毎年12月末になると、広島県広島市安佐南区内にある広陵高校は、にぎやかになる。「父」のように慕う「先生」に1年間の報告、あいさつをする卒業生がひっきりなしに足を運ぶからだ。大学、社会人、プロで現役を続ける選手のほか、野球部OBが集結。高校3年間を過ごした地で原点回帰する。大学4年生。2024年のドラフト候補2人は指揮官からの激励を受け、英気を養う時間となった。
取材・構成=岡本朋祐 写真=宮原和也

 広陵高グラウンドに隣接する野球部の本部室前。卒業生たちは午前9時の練習開始1時間前には集合し、中井監督の到着を待つのが慣例だ。宗山、渡部はいつも以上にキリッとした表情をしている。大学では見られない、高校時代の顔に戻っていた。2022年12月末に続き、2年連続での“特別合宿”は、中井監督の「親心」により実現した。午前練習、昼食を挟んで、夕方6時までのフルメニューを消化。また、夕食後の自主練習までみっちり、後輩たちと同じ生活を過ごした。 安打を量産する遊撃手・宗山、右の長距離砲・渡部とも1年春から活躍し、3年時にはそろって侍ジャパン大学代表でプレー。ドラフトイヤーとなり、宗山は明大の主将、渡部は大商大の副将となった。周囲からの注目度は高まるばかり。広陵高時代には宗山は主将、渡部は副主将を務めた。人としての芯もしっかりしているが、指揮官は念には念を入れた。

中井監督 浮ついたり、調子に乗るようなタイプでないことは十分に分かっていますが、22年はこちらから「集合」をかけたんです。3食一緒。23年は11月になって、2人のほうから「参加させてください!」と言ってきた。成長したもんですよ。想像以上に順調な3年間を過ごし、頑張ってくれており、2人の活躍が広陵の学校全体の励み、野球部の後輩にとっては目標の存在となっています。ただ、4年生のラスト1年が大事ですので、個人の成績もそうですが、チームのために頑張ってもらいたいなと思います。

宗山 この3年間、いろいろな経験をさせていただきました。今年もこうして広陵に帰ってきて、高校時代を思い出し、学生最後の1年を良い年にしたいです。

渡部 自分も1年春から出場させていただき、昨年は宗山とともに侍ジャパンのユニフォームを着ることができました。練習参加を通じて、広陵で学んできたことを後輩たちに伝えることで、自分自身も再確認できる。原点の場所で過ごし、新たな思いで勝負の年を迎えられます。

遠投110メートルの強肩外野手・渡部も実際のプレーで見本を見せた


宗山 人に教えることで、自分がレベルアップする上でのヒントが見つかります。

渡部 ほとんどの選手が卒業後も野球を続けるので、大学でプレーするために必要なことを助言させていただきました。

中井監督 私を含めて、高校生はシーズン中、2人を応援していましたし、宗山、渡部ともアマチュアトップレベル。子どもたちは、この日を首を長くして楽しみにしていたと思います。あまり、僕は口出しをしないようにしていました(苦笑)。

約90分にわたるウォーミングアップでは、現役部員から走り方を指導された


宗山 広陵のグラウンドに足を踏み入れると、自然と背筋が伸びるんです。高校在学中、甲子園には2回出場させていただきましたが、それ以上に、ここで練習し、汗を流したことのほうが印象深いですね。ガムシャラになってボールを追いかけ、一生懸命やることの大事さ。この場の空気を吸うことで、より感じます。

渡部 いろいろな球場で試合、練習を重ねてきましたが、広陵のグラウンドは、一味違います。身が引き締まる思いです。

中井監督 高校生にとって、一番、行きたいのは甲子園だと思うんですけど、心身を鍛える場所は、このグラウンド。野球界も昨今は最先端のトレーニングなど、グラウンド以外でも、さまざまな情報が得られる時代です。彼らがプロへ進み、一流になったとしても、まっさらな気持ちで野球に打ち込んだこのグラウンドでの3年間を、忘れないでほしい。私自身も運の良いことに、甲子園のベンチで何回もさい配を振っていますけど、甲子園から帰ってくるたび、ここがあっての甲子園と思うわけです。このグラウンドを大事にしないと、甲子園にも行き着かない。真剣にボールを追い、あの土がついたボールにこそ、価値がある。このグラウンドなくして、甲子園はない。2人も夢が実現したときに、このグラウンドを思い出してくれたり、ここに足を向けるような選手になってくれたらと思います。

宗山 現役の高校生が必死になって取り組んでいる姿を見るだけで、この空気から感じるものがあります。来年以降も、来させていただきたいと思っています。

左打者の宗山は、右打者の高校生に丁寧に打撃指導。


渡部 毎年、ここに戻ってくるたび、心が洗われます。次の年への活力になります。自分も毎年、来させていただきます。

高校3年夏は「甲子園中止」


 宗山は父・伸吉さんが広陵高野球部出身という縁もあり、同校への進学が決定。渡部も広島県内で指導する“中井ファミリー”の関係性から入学している。過去に例のない、特別な3年間を過ごした。

中井監督 宗山のオヤジは僕の教え子ですし、渡部を育ててくれた指導者も広陵の卒業生。彼らに限らず、信頼をして送り込んでくれるのは、ありがたい限りです。冒頭でも触れましたが、大学3年間はあまりにも順調。これから先、何が起こるか分かりませんから、世界一、怖い存在でありたいと思います(苦笑)。厳しさ以上の愛情はないと思っていますので。

宗山 昔から高校野球と言えば、自分の中には広陵しかありませんでした。野球選手も一人の人間なので、いずれ社会に出るときがくる。その基礎を学校生活、寮生活を通じて学ばせていただきました。

渡部 中学時代は軟式で、小さな町の出身でもあり、広陵はあこがれ、雲の上のような存在の学校でした。強豪校でプレーしたい思いはありましたが、自分がどのぐらいのレベルなのか分からない。OBを通じて入学の機会をいただき、感謝の思いしかありません。野球選手よりも、ユニフォームを脱いだ後の人生のほうがはるかに長い。親元を離れ、当たり前のことを当たり前にすることを勉強し、かけがえのない3年間を過ごしました。

中井監督 宗山はショートで入ってきたんですけど、まだ、その時点で守らせるのは難しかった。プレッシャーもかかりますし、1年生で負けるわけにはいかないので、1年夏の段階では代打、レフトを守らせていました。渡部は粗削りだったのに対して、宗山はコンパクトなスイングでミート率も高かった。その夏の甲子園初戦(2回戦、対二松学舎大付高)で外野守備から入り、8回表の打席では初球を打った(結果は遊ゴロ併殺)。足が震えてもおかしくない状況で、あの大舞台、しかも1年生で振っていける勇気。渡部は2年夏のセンバツ1回戦(対八戸学院光星高)を一番で起用しました。渡部も第1打席で初球から手を出してファウル、2球目もファウル、3球目はフォークで空振り三振。本来は中軸ですが、ブンブン丸でしたので、先頭打者にしたほうが勝つ確率が高まるかな、と。結果、ノーヒット(3打数無安打、3三振)でしたが、渡部の打席がチームに勢いを与え、何とか勝利することができました。

宗山は2018年夏の甲子園で、1年生で唯一のベンチ入り[背番号17]も、二松学舎大付高との初戦・2回戦で敗退[写真右]。19年春は宗山と渡部が三遊間を組み、八戸学院光星高との初戦を突破し、宗山は第1打席で右前打を放った。優勝した東邦高との2回戦で、渡部は石川昂弥[中日]から中前打[写真左]


宗山 1年生で、自分に実力がないのは明らかでしたので、ここは後先を考えずに、自分の持ち味である、思い切りの良さを見せていくしかありませんでした。

渡部 相手バッテリーの気持ちを上回るには、強気でいくしかなかったです。

中井監督 最上級生になれば、中心選手になると見ていましたが、2年秋の新チームで宗山は主将、渡部は副主将。在学中、褒めたことは1回もないですけど、よく頑張ってくれたと思います。ただ3年夏、この子たちには甲子園がなかった(2020年夏、コロナ禍で甲子園出場をかけた地方大会、全国大会が79年ぶりに中止)。にもかかわらず、これだけ頑張れたすごい時代の子。素晴らしい仲間と、最後の最後まで、頑張り抜いた。あの夏を経験して、次のステップにつながっている子たちであってほしいと願っています。

宗山 甲子園がなくなったことは悔しかったですが、それ以上に、3年間で得た学びは大きいものでした。周囲からは「悲劇の世代」なんて言われますけど、悲観的にとらえるのではなく、この経験ができたのは、自分たちだけ。主将として、これまで先輩からつないできた伝統を、途切れさせるわけにはいかない。卒業後のステージで活躍することが、広陵での3年間が充実したものであったと証明すること。そうとらえて、前に進みました。

渡部 (甲子園中止が発表になった)2020年5月20日は忘れません。皆、落ち込んでいましたが、中井先生から「強く生きろ!」と励まされたのを覚えています。目の前の目標がなくなり、難しい部分はありましたが、大学で頑張ろう、と。だからこそ、1年春から出場するチャンスを得られたと思っています。自分は副主将で、宗山と同部屋。主将として悩んでいた時期もありましたが、チームの方向性をいつも話し込んでいました。

19年春、宗山は9回裏の最後の打者[2対12で敗退]になっている[左から3人目が宗山]


初の直接対決なるか!?


 大学ラストイヤーはチームを優勝へ導いた上で、個人記録にも注目が集まる。明大・宗山は3年秋を終えて、東京六大学リーグ通算94安打をマーク。同連盟最多である明大・高山俊(元阪神)の131安打に挑む。大商大・渡部は2年秋に関西六大学リーグ最多のシーズン5本塁打を放った。3年秋までに通算7本塁打。リーグ記録の12本塁打を目指している。

中井監督 大学入学前、2人には「100本は打って来い!」と叱咤激励をしたんです。「100本、打てんと、夢(プロ)の舞台には立てんぞ!」と。2人とも100本は届きそう(渡部は89安打)なので、200本を打ってほしいです。

宗山&渡部 ……。

中井監督 そこ、笑うところやろう……(笑)。あとは、100本の内容ですよね。チームの勝利に結びつくようなヒットを積み重ねていってほしいと思います。宗山は最近、ペースが落ちていますよね(2年時は春秋で41安打、3年時は33安打)。エラーもようするし……(2年時は年間3失策、3年時は5失策)。131安打は、行かんといけんですね。達成しようと思って挑まないと、無理ですよね。「自分には運がある」くらいでやらないと。

宗山 この記録に挑戦できる可能性があるのは、今は自分だけ。チャンスをいただいているので、挑める立場に自分がいるからこそ、目指さないといけない。チームとしては、明治として達成したことがない「四冠」(春、秋のリーグ戦、全日本大学選手権、明治神宮大会優勝)が目標です。3年間、明治でプレーしてきて良い部分、悪い部分を、主将としてくみ取って、良い方向に導きたいです。

メニュー最後の伝統のグラウンド1周を48秒以内で走る「48『ヨンハチ』」では宗山がトップでゴールしている


中井監督 渡部も最近、ホームランを打たんね(3年春は0本、秋は1本)。大学野球の投手は狙って打てるレベルではないと思いますので、勝利につながる打点や、勝負強い打撃に期待したいです。

渡部 本塁打記録は更新したいですが、ホームランを狙って打率が下がるのは、意味がないと思っています。首位打者を獲得できるぐらいの率を残して、その結果が、本塁打数につながればいいです。

中井監督 リーグ安打記録は?

渡部 119安打です。

中井監督 東京六大学リーグに比べて、関西六大学リーグ(中井監督は大商大出身)は目立たない部分がありますので、アピールする上でも、頑張ってほしい。

渡部は2023年春、夏の甲子園に出場したエース・高尾響を相手にしたシート打撃で右前打を放つなど、存在感を示した


渡部 チームの目標は「日本一」です。明治と全国舞台で対戦したことがないんです。まずは、一戦必勝。自分たちが日本一を狙う段階で、明治と戦うことができたらいいです。勝ちます。

宗山 もちろん、自分たちが勝ちます。

グラウンド上の一塁側沿いには、中井監督が就任した1990年以降、歴代卒業生の石碑が並んでいる。宗山は「四冠」、渡部は「日本一」と最終学年の目標を書いた


周りを明るくする言葉


 春、夏の甲子園における個人アンケートで、広陵高の部員たちは毎回、「尊敬する人物」に「中井哲之監督」と書く。示し合わせたのではなく、純粋な思い。そして「好きな言葉」は「ありがとう」。指導を受けた選手は「はい」のあとに「ありがとうございます!」と感謝を付け加える。グラウンド横にある監督室のデスク左手にはひらがな5文字で「ありがとう」と書かれた額が掲示されている。

中井監督 中井イコール『ありがとう』になっていますね(苦笑)。無意識のうちに出る。生徒から「なぜ、先生はよく使われるんですか」と指摘されて気づいたぐらい。素直に『ありがとう』と伝えられる大人って、カッコいいじゃないですか。年齢を重ね立場、役職が変わると言えないのはどうか……。子どもたちにも、親に言えるようにならんと、と言っています。『ありがとう』の対義語は『当たり前』。こうして野球に打ち込めるのは親、学校、指導者のおかげで、一人では何もできない。誰も想像しなかったコロナ禍で、当たり前のことが当たり前でなくなった。私の中で、ありがとうは漢字で『感謝』、横文字で説明すれば『プラス思考』。心に響く、周りを明るくする言葉です。

宗山 広陵での3年間で多くの人との出会い、野球を続けさせてもらっていることへの感謝。何不自由のない施設も、毎日、生活していると、当たり前のようになってくる。そうではなくて、周りの方々の支えがあっての日常であることが『ありがとう』という言葉に集約されます。

中井監督 根本にあるのは「野球に出会えてありがとう」だと思うんですよね。大きな夢に向かって野球をすることで、人間的な成長があって、喜び合えることがすべてにつながれば、こんなにありがたいことはない。野球がうまいだけ、というのは好きではなくて、野球を通して頑張ったときに、男らしい男になってくれることが理想。高校野球に限らず、指導現場はいろいろ難しいご時世ですけど、時代は変わっても、広陵は変わらない。

渡部 自分の『ありがとう』は、中井先生が言われたように、野球との出会いです。野球がなければ、広陵に進学できなかったですし、中井先生、仲間と出会うこともできなかった。人生のすべてです。

中井監督 好きな野球が続けられるのは、両親のおかげ。いつまでも「両親があっての自分」ということを忘れずに、親御さんを大事にしていってほしいと思います。私は、野球はよう分からんのです(苦笑)。私は自分の両親のおかげで、人の育て方、正しく生きることは、教えることができる。便利な時代になっても、人は変わらんのです。自分は野球の監督ではありません。宗山、渡部、何だと思う?

宗山&渡部 教育者です!

中井監督 子どもたちに、夢を与える存在になってほしい。プロは常に見られている。プレーだけではない所作。言うまでもなく、道具を大切にする。一つのグラブ、バットも何百人もの人が丹精を込めて作ったもの。物には心があるんですよ。お百姓さんが一生懸命、育てたコメを小粒一つ残すな! というのが日本の文化。それが、崩れかけてきている。

渡部 一つひとつ言動に、影響が出ると思うので、どこのレベルに行っても、変えてはいけないことだと思っています。

宗山 子どもたちの手本として、責任のある行動を取っていきたいです。

中井監督 僕には「ダメなことはダメ」と言ってくれる人が身近にいる。奥さんの、由美さん(苦笑)。年齢だけ重ねても、そういう人がおらんようになったらダメ。2人はこのグラウンドに来て、昔を思い出し、原点に戻っただろう。中井を見たらピリッとする感じなので、ダラ〜っとしたら僕の写真でも見ないと。

宗山&渡部 ……。

中井監督 そこ、笑えよ! おい、渡部、グラウンドなのか、俺なのか?

渡部 中井先生です。

中井監督 やかましい(苦笑)。そういうときは、グラウンドと言っておけ。宗山は、どっちや?

宗山 どちらも、です(笑)。

中井監督 うまくなったな、高校時代は口数も少ないし、ようしゃべらんかった。プレー、努力する姿勢で見せるタイプでした。渡部も選手の心に響く言葉を並べるのが、うまいタイプではなかった。黙々と背中で引っ張る性格だったのが、取材慣れしたのか、ようしゃべるようになった(苦笑)。広陵OBで、大学のときにこれだけ注目されるのは、僕が記憶するに、二岡(二岡智宏、近大-巨人)以来ですかね。2人の行きたい夢の場所というのは、入るところ、行くところではなくて、そこで活躍するところ。「自信」とまでは言わないまでも、そこで活躍できるだけの実力を、この1年で磨いていってほしいと思います。つまり、大学4年生を意識して練習していては、ダメだと思います。

宗山&渡部 はい! ありがとうございます!

「男を磨く場所」広陵高校野球部とは?



 1911年創部の広陵高野球部は校舎、グラウンド、室内練習場、野球部合宿所(清風寮)の4点セットが、学校敷地内にある恵まれた環境だ。「男を磨く場所」は「全寮生」ではないが、結果的に全部員が3年間、同じ屋根の下で生活する。それは、なぜか。1990年から母校を指揮する中井哲之監督は、入学から卒業後も教え子一人ひとりを「子ども」「家族」として接するからだ。3年夏の公式戦後も引退はなく、翌年3月1日の卒業式まで丸刈り、2年生以下と練習し、寮生活を続ける。

 中井監督は就任以来、春13回、夏9回の甲子園出場へと導き、春2度の優勝、夏2度の準優勝。通算38勝(20敗1分)は歴代9位を誇るが、数字には興味を示さない。立派な人材を世に送り出すことが最大の喜び。モットーは「一人一役全員主役」。中井監督は試合に出場するレギュラー以上に、控え部員へのケアに気を配る。技術指導よりも、人間教育を大事にする。厳しさの中に、深い愛情。だからこそ、教え子には帰る“家”があるのだ。

 コロナ禍の中止を経て、12月29日には4年ぶりに野球部OB会主催の少年野球教室が広陵高グラウンドで開催された。NPBでプレーする巨人・小林誠司ソフトバンク有原航平DeNA佐野恵太ら現役14選手が集結した。母校で年1度の野球普及・振興活動は、中井監督への恩返し、人望の厚さにほかならない。

 広陵高は昨秋の中国大会で3年連続優勝。今春のセンバツ出場(1月26日に選考委員会)を確実にしており、チームは12月28日で全体練習を終えた。現役学生約100人は、清風寮が閉寮する28日までに訪問するのが慣例。ドラフトイヤーを迎えた宗山、渡部は恩師の下、現役高校生と混ざった練習参加にとどまらず、6時の起床から22時30分の消灯まで、同じサイクルで過ごした。22年オフに続き2年連続で、宿泊が伴うのは異例。宗山は12月25日から2泊3日、渡部は同26日から1泊2日。高校時代に戻り、自身を振り返る上でも、充実の時間となった。

PROFILE

なかい・てつゆき●1962年7月6日生まれ。広島県出身。広陵高、大商大を経て、86年に広陵高に赴任と同時に副部長。1990年に監督就任。春13回、夏9回の甲子園出場。春センバツは91、03年に優勝。夏の選手権は07、17年に準優勝。監督歴代9位の38勝(20敗1分)。

むねやま・るい●2003年2月27日生まれ。広島県出身。175cm78kg。右投左打。三良坂小1年から三良坂少年野球クラブで野球を始め、投手、捕手、遊撃手。6年時には広島カープJr.でプレー。三良坂中では高陽スカイバンズに所属し投手、遊撃手。広陵高では1年夏からベンチ入りし、甲子園初戦(2回戦)敗退。1年秋から二塁手、2年春から遊撃手のレギュラーで、同春のセンバツでは2回戦敗退。2年秋の広島大会4位。主将だった3年夏は県独自大会準優勝。明大では1年春の途中からレギュラー。2年春に首位打者、ベストナインは3回(21年秋、22年春秋)受賞。侍ジャパン大学代表として、2年夏はハーレムベースボールウイーク2022で4位、3年夏は日米大学選手権優勝。東京六大学通算70試合、打率.348、8本塁打、44打点。

わたなべ・せいや●2002年8月31日生まれ。広島県出身。177cm88kg。右投右打。府中市立南小1年時に府中南少年野球クラブで野球を始め、府中第一中では府中野球クラブで投手、捕手、遊撃手。広陵高では1年秋に三塁手のレギュラーとなり、2年春のセンバツ出場。2年秋からは外野手に転向。高校通算30本塁打。大商大では1年春から出場し平古場賞、2年春に首位打者、ベストナイン4回(1年春、2年春秋、3年秋)受賞。2年秋には5本塁打でシーズン最多記録を更新。関西六大学リーグ通算63試合、打率.360、7本塁打、48打点。

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