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ルーキー時代からチームの力になったソフトバンク・和田毅。レジェンドに起こった“人的補償騒動”。NPBは事態の真相を追及すべきだ【伊原春樹の野球の真髄】

 

チームの顔を傷つけたのは球団フロントの失態だ[写真=湯浅芳昭]


 和田毅(ソフトバンク)には苦い思い出がある。2002年、私は西武監督に就任したが選手の頑張りもあって、2位・近鉄、ダイエー(現ソフトバンク)に16.5ゲーム差をつけてチームを4年ぶりの優勝へと導いた。翌03年、連覇に向けて自信は大いにあった。先発陣には松坂大輔西口文也らがいて、リリーフ陣も豊田清森慎二らが控える。打線も松井稼頭央カブレラ和田一浩らがラインアップに名を連ね強力だった。選手たちが普通に力を発揮してくれれば、負ける要素はない。そう思っていた。

 しかし……。シーズンではダイエーの後塵を拝し、優勝をさらわれてしまった。ダイエーは全5球団に勝ち越す「完全V」。前身の南海時代から21年間負け越していた西武からも貯金を作った。その要因となったのは前年とは様変わりした投手陣だった。02年のチーム防御率はリーグ5位だったが、03年は同1位の3.94に。入団8年目にして初の開幕投手を務めた斉藤和巳が16連勝を含む20勝。ルーキーの新垣渚も8勝をマークした。

 そして、もう一人のルーキーが和田だった。球の出どころが見えづらいフォームからキレのいい直球、変化球で打者を幻惑。14個の白星を稼ぎ、1999年の松坂以来の満票での新人王を獲得した。この3投手で計32勝。チームの勝利数の約4割にあたったが、“新鋭”がこれだけダイエーの力になるのは想定外だった。

 その後も和田はホークスの中心投手として投げ続けた。11年までの9年間で107勝を挙げて海外FA権を使ってメジャー・リーグへ。16年にソフトバンク復帰後も先発の一角としてチームに貢献。42歳だった昨年もチーム2位の8勝をマークした、まさにホークスのレジェンドだ。

 その和田にまつわる“騒動”が起こった。1月11日に西武からソフトバンクへFA移籍した山川穂高の人的補償で、西武が和田を指名する方針を固めたと一部スポーツ紙が報道。しかし、球団にも抗議電話やメールが殺到し、SNS上でも議論が沸き起こった。結局、同日夕方に両球団から人的補償として発表された名前は和田ではなく甲斐野央だった。

 両球団の間で一体、何が起こったのか――。真相はやぶの中だが、さまざまな報道から考えるに、和田がプロテクトから外れていたのは確かなのだろう。「ベテラン左腕を獲るわけない」と、たかをくくったソフトバンクフロントの失態だ。さらに、果たしてもともと甲斐野はプロテクトから外れていたのか。和田の人的補償をやめてもらう代わりに、プロテクトされていた甲斐野を差し出したのではないか。ソフトバンクフロントはノーコメントを貫いているから疑念ばかりが残る。

 この事態でコミッショナーが動かないのも、いかがなものか。NPBが中心となって事態を徹底追及しなければ、プロ野球ファンの不信感も募るばかりなのは間違いない。

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