
高井が“代打男”として輝いたのはDH制がなかったからだとも言える
DH制の危うさは努力をしなくなること
少し時間が経ってしまったが、今年の交流戦もパ・リーグがセ・リーグを圧倒した。1年だけならともかく、毎年のようにパにやられ、セの監督・選手は悔しくないのか。
これは“喝”だ。前に書いたとおり、私は交流戦の役割はすでに終わっていると思うが、すぐにやめるわけにはいくまい。ならば、もっと死に物狂いでやらなければいけない。相手リーグに絶対に負けないという気迫がなければ、ファンの心をつかむことはできないし、浪漫(ロマン)を生むこともできないのだ。
パの優位はいろいろな要因があるが、ドラフトで
ダルビッシュ有(現カブス)、
田中将大(現ヤンキース)、
菊池雄星(現マリナーズ)といった突出した選手をことごとくパの球団が獲得していったことは大きい。セのクジ運の悪さや見る目のなさが、交流戦で差が生じる理由の一つであることは間違いないだろう。
あとは、パはDH制があるから、投手が打席に立つセより攻撃的な戦いになり、必然的に投手が鍛えられ、かつ、それに対抗するため打者のスイングも強くなるという人がいる。それも多少はあるかもしれないが、それ以前の問題としてDH制自体をどうするかという問題がある。
はっきり言えば、私はDH制に反対だ。DH制は野球の本質とは・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン