
大投手への階段を上るためにも佐々木には決勝で投げさせてやりたかった
佐々木にもナインにも納得感はあったのか
今年も夏の甲子園が始まった。甲子園はいつの時代も日本全国の球児たちにとっての夢舞台だ。毎年、甲子園のゲームは見ているが、特に今年は私の地元である
広島から15年ぶりに広島商高が出場するので、楽しみは大きい。私自身は甲子園に出ることができなかっただけに、甲子園を目指して練習に明け暮れた日々を懐かしく思い出す時期でもある。
だが、残念なことが一つある。一番の注目投手だった大船渡高の
佐々木朗希が、花巻東高との岩手大会決勝で、マウンドに上がることなく敗れたことだ。
私は佐々木が決勝で投げることによって、佐々木自身も、ナインにとっても得るべきものが多かったはずだと思っている。
一方で、佐々木を投げさせなくて良かったという人には、投げさせずに何が良かったのかという理由を聞きたい。「休ませたことでケガをせずにすんだ」とか「故障がなかった」という人がいるが、医者ではあるまいし、なぜ投げていたら故障していたなどということが言えるのか。
準決勝の帰り道、佐々木はチームメートたちと「明日(の決勝)は絶対に勝とう。絶対に投げたい」と語り合っていたという。佐々木の体には肩やヒジを含めて異常はなかったということだ。
体に問題がないのにケガを怖がって投げないというのであれば、スポーツなどしないほうがいい。相撲で力士が、ケガが怖いからといってぶつかり合いをしないなどということがあるだろうか。ケガも怖れず全力でぶつかり合うからこそ、そこに浪漫(ロマン)が生まれるし、見る者の心を揺り動かすことになるのだ。
大船渡高の國保陽平監督は32歳とまだ若い。アメリカの独立リーグでプレー経験があり、佐々木を決勝で投げさせないという判断もアメリカ流の考えが基になっているのだろう。いろいろと勉強してはいると思うし、監督だけを責めるわけにもいかないが、佐々木に「投げさせない」と告げたのが、決勝が始まる直前だったというのは・・・
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