東映の初の日本一は水原監督の眼力と采配の賜物だった
ラッキーボーイをいかに見つけ出すか
今年も日本シリーズが開幕している。原稿を書いている時点で結果は分からないが、すでに第3戦までが行われているはずだ。
4戦先勝という短期決戦では当然、ペナントレースとは戦い方が変わってくる。長いペナントレースでは一つ失敗しても、また3つ4つ勝てば取り返すことができるが、日本シリーズではそうはいかない。ひとつの間違いが結果を大きく左右するから、監督に求められる采配と眼力もさらに大きなものとなる。
その中で、私が“四大監督”として名前を挙げる
水原茂さん(元
巨人監督ほか)、
三原脩さん(元西鉄監督ほか)、
鶴岡一人さん(元南海監督)、そして
川上哲治さん(元巨人監督)の日本シリーズの戦い方における共通点は、「ラッキーボーイを見つける」ということだった。
私が東映で日本一になった1962年の
阪神との日本シリーズでは、
種茂雅之さんがラッキーボーイと呼ぶべき存在になった。甲子園での第1、2戦で連敗すると、東映の指揮官だった水原監督はデータ研究に長けていた
安藤順三さんから種茂さんにキャッチャーを代え、こちらは「ラッキーボーイ」というわけではないが、1、2戦で先発していずれも相手打線につかまっていたエースの
土橋正幸さんをリリーフに回した。
種茂さんは思い切ったリードでピッチャーの力を引き出しながら打っても殊勲打を放ち、土橋さんも好リリーフを連発。第3戦に引き分けたあと、一気に流れを引き寄せて4連勝。土橋さんは7試合中6試合に登板するフル回転で胴上げ投手となった。種茂さんを抜てきした眼力と、土橋さんにすべてを懸けるという思い切った采配。まさに水原監督だからこそ成せる業だった。
「ラッキーボーイ」を見つけるというのは、ただ無名の若手を抜てきするというだけでは・・・
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