
首位打者争いの常連だった筆者。タイトルへの執念は凄まじかった
監督の手腕
昨シーズン優勝を果たした
ヤクルトと
オリックスは、ともに2年連続最下位からの優勝だった。両リーグでともに前年最下位だったチームが優勝することは、85年以上にも及ぶ日本のプロ野球でも初めてのことで、それほど珍しかったわけだ。
どのチームも目指すは優勝で、それを逃せば2位、3位と最後は少しでも上の順位で終わりたいというのが正直なところだろう。優勝できなければ2位以下は皆同じということも言えるが、Aクラス、Bクラスという言葉もあるように、やはり順位が持つ意味は大きい。プロは結果がすべてだから、その順位がそのシーズンの実力だったということだ。だからリーグで一番弱かったことを意味する最下位はチームとして不名誉な記録であり、恥ずべきものだ。よく監督や選手たちから「最下位だけは免れたい」という声を聞くが、それが本音だろう。
6球団のうち、毎年どこかのチームが必ず最下位になるのだが、一番怖いのはその立場に慣れ切ってしまうことだ。最下位が続いたり、あるいは頻繁に最下位になっていると、チームにあきらめが漂う。
「どうせ、優勝なんてできない」
「どうせ、あそこには勝てない」
この“どうせ”という気持ちがやっかいなのだ。やる前からこんな気持ちでは話にならないし、戦う前かから負けているようなものだ。
ヤクルトもオリックスも2年連続の最下位となれば、選手の中にはもしかして「どうせ今年も……」と思っていた選手がいたかもしれないが、見事に優勝を手に入れた。その過程に何があったかは知る由もないが、だからこそヤクルトとオリックスの優勝には価値があったと思う。もし昨年も最下位だったら、根本的なチーム改革が必要だったろう。
最下位に限らず、弱いチームの選手に根付いた「どうせ」という気持ちを取り外し、「もしかして」という期待を持たせるのは、やはり監督であり、それは監督の大きな仕事の一つだ。ヤクルトの
高津臣吾監督、オリックスの
中嶋聡監督は、それを見事に果たしたのだと思う。
これには私も経験がある。私のプロ3年目の1961年、東映に前年まで
巨人の監督を務めていた名将の
水原茂さんがやって来た・・・
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