筆者の1年目の名鑑撮影。こうやって名前の紙を持ってもらい、あとの間違いを防ぐ
岡崎の運の強さ
中央大からドラフト外でジャイアンツへ入団したのは1980年、昭和で言ったら55年になる。
長嶋茂雄さんが監督ラストイヤーで、
王貞治さんも現役最後のシーズン。僕が何をしたわけではないが、
巨人の歴史の節目となる1年だった。
ONのお二人は、あこがれを超えて、雲の上の人だ。同じユニフォームを着てプレーするなんて信じられないし、本当に夢のようだった。ジャイアンツは選手層が厚く、すごい選手がたくさんいたが、この現実の中でやるしかない。厳しい勝負の世界へ足を踏み入れたという覚悟はあった。
このときの新人は、ドラフト1位が市立尼崎高の右腕・林泰宏、2位はキャッチャーで育英高のヤマちゃん、
山崎章弘、3位が箕島高のショートの上野敬三、4位が大分商高の
岡崎郁。ドラフト指名はこの4人だったが、ほかにドラフト外で高校生を6人獲得している。だから10人が高校生で、大学生は僕と島ちゃんこと、早稲田の島貫(
島貫省一)の2人だけだった(メンバーについては
前号で掲載してます)。
高校大学で合わせて12人の新人が入ったわけだが、残念ながら、大成したのは岡崎郁くらい。だけど僕は・・・
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