
来日前年の86年、アトランタ・ブレーブスで27本塁打。29歳と脂の乗った年齢での来日だった
忘れられない選手……
先乗りスコアラーにとって、仕事だけでなく、ホテル生活になる出張自体の苦労もある。
一番は、やはり食生活だ。充実を図りたいが、現在のようにさまざまな食品が簡単に手に入り、それもおいしいなどという時代ではなく、どうしても外食になりやすい僕たちは健康的な食生活にはなりにくかった。特に、ナイトゲーム後には帰宿してすぐに、その日の分のデータ作成に取り掛かるので、夕食は試合前にあらかじめ弁当などを買って用意することが多かった。
それにしても、夏場の暑い時期には困った。試合前に買った弁当をカバンの中に忍ばせていると、5回が終了した時点で球場内のアナウンスが……。
「食中毒警報が発令されました。お手持ちのお弁当などはお早めにお召し上がりになるようお願い申し上げます」
おいおい……。万が一、夜中に急に腹痛に見舞われても、誰も助けてくれない……。怖くて嫌な気分だった(笑)。
僕の先乗りスコアラーとしてのキャリアは7年間というものだったが、その中でも忘れられない選手、忘れられない試合というのがある。
忘れられない選手……、それは1987年、僕が先乗りスコアラーの2年目のある試合で震撼(しんかん)したあの出来事……。その光景を目の当たりにし、ド肝を抜かれた。日本中を驚かせた男……そいつがアメリカからやって来た。それは「赤鬼」、ジェームス・ロバート・ホーナーこと、そう、
ボブ・ホーナーだった。
ホーナーはメジャーでの実績から言ってもチームの中心選手、前年の成績から言ってもバリバリのメジャー・リーガーであり、「本物」が日本でプレーするということになった。その年のアメリカでの契約がどのチームとも折り合わず、ホーナーは日本でのプレーを選択したのだ。
ホーナーのデビュー戦。5月5日、こどもの日だった。僕は
ヤクルト対
阪神戦で阪神の偵察のため、神宮球場を訪れていた。もちろんホーナーには興味はあったが、僕の視線は偵察対象のタイガースのほうに注がれていた。「三番サード、ホーナー」のアナウンス
コールでホーナーはゆっくりと打席に入った。特別、体が大きいという印象はなく、ネクストサークルでのスイングも目を見張るような鋭いものとは映らなかった。ただタイミングの取り方は小さく、体の軸がブレず、ムダな動きがまったくない。理想的なこんなコンパクトなスイングは見たことがない。豪快なメジャー・リーグの打者のイメージは覆され・・・
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