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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「近未来のプレーヤーが力と速度を兼ねるヒント」

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先入観は新たなる道の妨げとなるだけに、ラグビー・元日本代表・宿沢広朗監督は、常識を覆した[写真=BBM]


 フランスで行われているラグビーのワールドカップを夢中になって観ている。一応、“元ラグビーライター”だった野球ライターは、ラグビーと聞くと今でも血が騒ぐのだ。かつてのラグビー好きとしてはワールドカップの試合を観るたびに、世界のラグビーのフィジカルと戦術における劇的な進化に驚かされる。そして、日本が2015年に倒した南アフリカ、19年に撃破したアイルランド、スコットランドとの一戦など、ここ最近のワールドカップで戦う日本代表の試合を観ていると、決まって思い出すのが今は亡き宿沢広朗さんのことだ。

 ラグビー・元日本代表監督の宿沢さんが急逝したのは、今から17年前の06年。そこからさらに遡ること17年、1989年5月28日、秩父宮で日本代表がスコットランド代表を破った。ラグビーが日本に伝えられてから90年、日本が初めて世界のビッグ8の一角であるスコットランドを破るという快挙を成し遂げたのだ。

 そのときの日本代表の監督が宿沢さんだった。当時の宿沢さんは日本のラグビーを劇的に変えるんだと意気込んでいた。銀行マンとして市場営業部門を率い、邦銀ナンバーワンのマーケット収益を稼ぎ出した立役者でもあり、ラグビーマンとしてもゲームを巧みにコントロールするスクラムハーフとして早大を2年連続の日本一に導いている。そんな宿沢さんが日本のラグビーを変えるために拭い去ろうとした先入観が「デカいフォワードは前へ、速いバックスは横へ」という、長くラグビー界に染みついた“常識”だった。

 宿沢さんはフォワードに速さを求め、バックスに強さを求めた。フォワードも前へ横へ、バックスも横へ前へという、今では当たり前の・・・

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石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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