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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「ホークスの野球の中に受け継がれる王貞治の魂」

 

1994年秋にダイエー[現ソフトバンク]の監督に就任した王貞治氏[写真左から2人目]が、勝たなくても暮らしていける甘さが染みついてしまっていたチームを変えた[写真=BBM]


次なる夢を記したオーナーの粋な名刺


 2000年以降、リーグ優勝は8度、2位も8度。Bクラスは3度だけという強いホークスが当たり前の若い野球好きにとって、ホークスの暗黒時代など想像がつかないかもしれない。しかし、1974年から98年まで、ホークス好きはつらい日々を過ごした。

 1950年代の10年間、南海ホークスは3連覇を含む5度の、そして60年代も3連覇を含んだ4度のリーグ優勝を勝ち取った。しかし、73年を最後にホークスはリーグ優勝から遠ざかることになってしまう。その15年後の88年秋、南海は球団をダイエーに売却。ホークスは大阪から福岡へと本拠地を移した。

 それでもホークスは、さらに10年間、勝つことができなかった。その時代を振り返ると、当時の中内功オーナーからいただいた1枚の名刺が思い浮かぶ。腰の曲がった中内オーナーがホークスのユニフォームを着て、杖をついている――ホークスファンだった水島新司さんが描いた中内オーナーのイラストの横には、英語でのこんなメッセージが添えられていた。

“The Owner wishes to see Victory before his 100 years birthday. Please introduce good players to me!!”(オーナーは100歳になる前に優勝を見たがっています。どうか、いい選手たちを紹介してください!!)。

 いやはや、なんとも粋な名刺ではないか。プロ野球チームのオーナーになるという夢を叶えた流通最大手の創業者は、次の夢を名刺の一文に託していた。そして中内オーナーは77歳の秋、悲願を現実のものとする。99年、ホークスは26年ぶりのリーグ優勝を成し遂げたのである。そのとき、宙に舞った監督は王貞治だった。

「胴上げされているときは・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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