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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「亀のように頂を目指し兎よりも長く投げ続け」

 

2004年のアテネ五輪、カナダとの3位決定戦に先発した和田毅[写真=BBM]。準決勝は松坂大輔[当時・西武]が先発と、同世代が“左右のエース”として日本球界をけん引していた


思わぬ方向から現れた同世代の“ライバル”


 今から20年前の2004年、真夏のギリシャ。オリンピックが行われていたアテネの郊外、真っ青なエーゲ海が目の前に広がるグリファダの街は、夏休みを楽しむギリシャの人々で賑わっていた。

 松坂大輔と和田毅──同い年の2人は陽射しのきつい真っ昼間、グリファダの街をぶらぶら歩いた。プロ野球選手となった彼らが、こんなにのんびり街を歩けたのは初めてだった。道行く人が自分たちのことを誰も知らない街でハンバーガーを食べて、買い物をして、屋台で買ったトウモロコシにかぶりつく。律儀に一粒ずつ食べる松坂、無造作にかぶりつく和田。

「確かにそうでしたね(笑)。大輔と違って僕は不器用なんですよ。大輔は繊細だし、器用だし、周りに気を使うじゃないですか」

「きれいに食べるイメージがあるのは毅のほうですよね。僕はきれいに食べたいときと、どうでもいいときの両方ある。それがピッチングにも出ているでしょ。大胆さと繊細さを使い分ける。毅は大胆にガンガン攻めるタイプですからね」

 アテネ五輪で金メダルを義務づけられた04年の日本代表。その命運を握る左右のエースはこのとき、ともに23歳だった。

 実に興味深い2人である。彼らはまったく正反対のタイプだ。ともに高校3年夏の甲子園に出場、ベスト8に勝ち進んだ。対戦することはなかったが、ただ・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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