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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「あふれたコップの水、プレミア12で越えた壁」

 

2015年の第1回プレミア12で、初戦[札幌ドーム]、準決勝[東京ドーム]と韓国を相手に好投した大谷翔平。特に負けらない準決勝で気迫を前面に押し出したが、それには理由がある[写真=Getty Images]


ここ一番で勝ち切れない大谷翔平の“トラウマ”


 思い起こせば第1回のプレミア12が行われたのは2015年、今から9年前のことだ。優勝したのは韓国、日本は準決勝で、その韓国に敗れた。その韓国と、札幌ドームの初戦、東京ドームでの準決勝の2度に渡って対峙したのは当時、21歳のピッチャー、大谷翔平だった。大谷は言っていた。

「登板する前から『プレミア12の初戦は札幌ドームだよ』『相手は韓国だから』『分かっているよな』と釘を刺されてきたので(笑)、そこに向けて準備をしてきました。でも、初戦の先発を実際に言われたときは、一気に緊張感が沸き起こってきましたね。札幌、初戦、日韓戦とそろって、僕の中ではこれよりも緊張するマウンドはないだろうなと思っていたんです」

 札幌、初戦、日韓戦──大谷は3つのプレッシャーをはねのけて1度目の韓国戦で完璧なピッチングを披露する。初回から161キロのストレートを投げ、三振を奪うたびに雄叫びをあげて韓国に得点を許さない。結局、大谷は韓国打線から10個の三振を奪って6回を無失点に抑え、日本に1次ラウンドでの1勝目をもたらした。しかし、この勝利だけでは大谷はまだ勝ち切ったことにはならないと考えていたのが、当時のファイターズの監督、栗山英樹だった。

「翔平は大事なところで勝ち切れないトラウマを持っているから、あれだけピッチャーにこだわっているんだろう。ピッチャーとして大一番に結果を出せていなかったのは事実だし、だからこそ初戦の韓国戦に勝っただけじゃ、勝ち切ったことにはならない。負けても次がある試合と負けちゃいけない試合は違うからね。本当に大事な試合は負けちゃいけない準決勝のほうだった。大事な試合になれば長所と短所のどちらかが極端に出やすくなる。1度目は長所が出た。負けちゃいけない2度目でも長所を出せるのか……そこが、翔平が越えるべきところだったと思う」

 ここ一番で勝ち切れない“トラウマ”──高校最後の夏は岩手大会の決勝で敗れて甲子園出場を果たせなかった。プロに入ってからも・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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