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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「半世紀を経た今も放っているタイムリー」

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通算1058安打、155本塁打の成績を残した右のクラッチヒッター・井上弘昭。4球団を渡り歩いたが、今もサインに記すチーム名は、1973年から8年間プレーした中日だ[写真=BBM]


実はテッパンではない歌詞にあるオーダー


 名古屋駅から在来線に乗って往年の名選手を訪ねた。

 井上弘昭──1967年秋のドラフト1位で広島へ入団、移籍した中日で74年、巨人のV10を阻むリーグ優勝を成し遂げた。日本ハムでは81年の日本シリーズで敢闘賞を受賞。85年、西武で引退するまでの18シーズンで通算1058安打、155本のホームランを記録した右のクラッチヒッターである。五月人形の武者を思わせる凜々しい眉と厳つい風貌は健在。こちらの問いかけを最後まで聞き終えてから、おもむろに低い声でとても興味深い話を続々と繰り出してくれた。

「週刊ベースボールか……一度だけ、オレが表紙になったことがあったな。オレらの時代はONばっかりだったからな」

 今でも一日に8000歩は歩いているという井上は、とても80歳には見えない。名古屋で生まれた巨人ファンの野球好きが少年時代、中日ファンだらけの名古屋で生き抜くために“アンチ中日”になったという思い出はここで何度も綴った。アンチはファンと表裏一体、アンチ中日はやたらと中日に詳しく、個人的なアンチの根っこは巨人が中日にしてやられた74年(V10を中日に阻止された)と75年(長嶋茂雄監督の1年目に巨人が最下位に沈んだ)の2年間にあった。そのとき、中日のど真ん中に君臨していたひとりが“三番・井上”だった。

 74年といえば・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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