週刊ベースボールONLINE

石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「ノスタルジーを掻き立てる“お茶とミカン”のユニフォーム」

 

山下大輔がドラフト1位で大洋に入団した1974年、「湘南カラー」とも呼ばれるオレンジとグリーンのユニフォームを採用した[写真=BBM]


“親”として刷り込まれた51年前の記憶


 この胸の高鳴りはなんだろう。

 リアル書店という言葉はあまり好きではないが、今でも本屋を覗くのが外出したときの楽しみだ。師走のある日、スポーツの本の棚に並ぶ『ベースボールマガジン』の表紙が目に飛び込んできて、胸がキュンと高鳴った。

 グリーンの帽子にオレンジのツバとWマーク、オレンジのユニフォームにグリーンで“Whales”と描かれた胸文字――特集テーマは『山下大輔と(横浜)大洋ホエールズ』。昭和の野球好きのノスタルジーを掻き立てるこの時代、そう、グリーンとオレンジの“お茶とミカン”のユニフォームに「横浜」はいらないのだ。だからここでは( )内に記したが、実際の表紙では「横浜」が小さく表記されている。なんとも嬉しい心遣いではないか。

 インプリンティング(刷り込み)とは、生まれたばかりの動物が最初に見た動くものを親と認識する現象のことなのだが、この“お茶とミカン”のユニフォームは、おそらくここでこのコラムを綴る野球好きにとっての“親”なのだろう。人生で初めて観たプロ野球の試合は1974年2月24日、静岡草薙球場で行われた大洋ホエールズと中日ドラゴンズのオープン戦だった。どうやらそのときは“お茶とミカン”のユニフォームは着ていなかった史実があるらしいのだが、いやいや、記憶の中には“お茶とミカン”が焼きついているのだからそれでいい。新浦壽夫の美しいピッチングフォームに魅せられて熱烈な巨人ファンとなり、名古屋に移り住んで強烈なアンチ中日となった野球好きの“親”は、大洋ホエールズだったのである。

 何しろ、今から51年も前のことだ。当時、レプリカのユニフォームなどという洒落たグッズはたぶん存在せず、ユニフォームを着たければ・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング