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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「“世界一と打倒アメリカ”三たびの悲願なるか」

 

2006年の第1回WBCで世界一の立役者となったイチロー。日本野球のレベルの高さを世界に見せつけた[写真=BBM]


米国に勝る日本野球の高いポテンシャル


 もう20年も経ったのか――第1回WBCが行われたのは2006年のこと。注目の的は、2004年にメジャーで262安打を放ってシーズン最多安打を更新、2005年までメジャーで5年連続200安打を記録していたイチローが日の丸を背負ってプレーすることだった。2005年11月、イチローは日本代表の王貞治監督に電話で出場の意志を伝えた。そのモチベーションについて、当時のイチローはこう話している。

「メジャーの選手がそれぞれの国を背負って戦うのは素晴らしいことですし、日本の選手とプレーするのはおもしろいと思いました。確かにWBCはまだ歴史のない大会ですし、選手も運営する側もどこまで本気で取り組もうとしているのか分からない部分もあります。でも、こういう大会は続けることが大切ですから、そのためにはまず始めないと……」

 行く末の見えない舞台でも第1回がなければ第2回はないという信念は、今の高校野球女子選抜との試合からも見て取れる。しかも、球界再編に揺れた直後の日本球界が置かれた状況を考えたとき、代表入りを断る選択肢はないという責任感もあっただろう。そんな思いからWBCへの出場を決意したイチローにはもうひとつ、アメリカを倒したいという悲願があった。

「僕の中では世界一になることとアメリカに勝つことの意味合いは少し違っていました。メジャー・リーグは世界のトップのはずなのに、力ではなく精神的に、日本の野球に比べてかなり劣っていると感じていたんです。だからこそ日本はアメリカには負けるわけにはいかなかった。メジャーにはポテンシャルの高い選手はたくさんいますが、日本だって負けていない。自分たちがトップだと思っているアメリカへの反発もあったかもしれませんね」

 日本人としてメジャーのトップレベルでプレーしていたイチローは、アメリカの野球に複雑な感情を抱いていたのだ。アメリカのいいところも悪いところも見聞きしてきた5年間。それでもプレーヤーとしてのイチローは・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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