週刊ベースボールONLINE

石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「記憶に刻まれる忘れじの助っ人列伝」

 

メガネを掛けた長身細身の風貌が印象的だった広島の助っ人・ウェイド・ロードンはあっという間に人気者に。左は大野豊[写真=BBM]


最もインパクトを受けたウィリー・デービス


 昭和の野球好きにとってカープの外国人といえば赤ヘル軍団を初優勝に導いたリッチー・シェーンホプキンスということになるのだろうが、個人的には赤ヘル前夜の黒ヘルだったカープのふたりの外国人、ジム・ヒックスミッキー・マクガイアが記憶に刻まれている。

 カープの試合を初めてナマで観たのは小学4年生だった昭和49年9月8日、後楽園球場でのジャイアンツ戦だった。長嶋茂雄が現役を引退する約1カ月前、ジャイアンツはV10を目指していた。一方のカープは夏になったら定位置の最下位に沈み、3年連続最下位へまっしぐら。翌年の初優勝など想像もつかない状況だった。

 その日のカープのスタメンは三番がファーストの衣笠祥雄、四番はライトのヒックス、五番にセンターの山本浩司(のちに浩二)、六番にセカンドのマクガイアが入り、このふたりの外国人の活躍でカープがジャイアンツに打ち勝った覚えがある。当時、ジャイアンツには外国人選手がおらず、子ども心にカープはズルい、もっと言えば最終的にV10を阻止したドラゴンズには四番のジーン・マーチン、スイッチヒッターのジミー・ウィリアムがいて、ドラゴンズはもっとズルいと思っていた(笑)。ジャイアンツにデービー・ジョンソンが加わるのはその翌年のことである。

 名古屋で育った野球好きにとって・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング