
一軍公式戦で初の球審を務めた川上審判はハツラツとジャッジした[写真=大泉謙也]
人間の意志や感情、思考は尊くて力があるもの
教え子の晴れ舞台をどうしても見たかった。だからその日、本田仁哉は長岡駅から新幹線で東京へ向かった。本田は新潟の中越高校で2002年の秋から野球部の監督を務めている。以降、たくさんの教え子を世に送り出してきた。
そのうちのひとりがプロ野球の審判員になった。高校時代はピッチャーでファーストも守った左投げ左打ちの川上拓斗。本田監督によれば「センスがあって感受性が豊か、観察力と洞察力が備わっている」タイプだった。しかし2年のときにノックの打球に飛び込んで手首を骨折、しばらくプレーすることができなかった。それでも川上は最後の夏、背番号13を勝ち取る。14年夏、新潟大会の準々決勝。中越高は日本文理高に2対3と1点リードを許して最終回の攻撃を迎えた。先頭は代打の川上。空振り三振は「思い切ってスイングした結果」(本田)だった。甲子園への夢が絶たれた川上は、本田に新たな目標を打ち明ける。
NPBの審判員になりたい――。
驚き、戸惑った本田だったが、当時、BCリーグの審判部長が中越高野球部のOBだった縁を頼った。まず、審判として独立リーグへ飛び込んだのだ。川上は中越高のホームページで、卒業生として後輩にこう話している。
「高校時代に監督が・・・
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