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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「儚げなサウスポーを追った幸せな苦行の道」

 

「ノミの心臓」と揶揄されながらも、新浦のポテンシャルを信じて使い続けた長嶋茂雄監督の期待に応えた[写真=BBM]


白鳥の羽根のような美しいフォーム


 ジャイアンツ左腕列伝と聞けば黙っているわけにはいかない。彼のことはここで何度も綴ってきたので、今さら何を、という躊躇がないわけではないのだが、それでもこのサウスポーへのありったけの想いを改めて紡いでおきたい。

 それが新浦壽夫だ。

 平成生まれの野球好きには、この名前はピンとこないかもしれない。静岡商のエースとして1968年、夏の甲子園で準優勝。ジャイアンツに入団後は監督となった長嶋茂雄と良きにつけ悪しきにつけ運命を共にすることとなる。新浦が負け続けたシーズン、長嶋巨人は最下位に沈み、新浦が先発に抑えに大車輪の活躍を見せるや長嶋巨人が連覇を果たす。昭和50年代、第一次長嶋政権での新浦は危なっかしくもあり、頼りにもなる、儚げなサウスポーだった。

 新浦との野球好きとしての出逢いは1974年3月21日、静岡草薙球場でのジャイアンツとオリオンズ(ロッテ)とのオープン戦だった。野球を見始めたばかりの小学4年生はジャイアンツの試合を初めて観た。V9を達成した翌年の開幕前、試合前の練習を見ていたら、父が「あの左投げの選手が新浦だよ」と教えてくれた。

 あえて「あの」と新浦に注目したのは・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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