
1994年10月8日、ナゴヤ球場で行われた中日戦、最後のバッターをカーブで空振り三振に斬って取り優勝を決めてガッツポーズをする桑田[写真=BBM]
ベーブ・ルースに呼ばれてるとしか思えない
NPB公式記録員の山本勉さんと球場への郷愁について語り合った2時間には、野球好きにとって堪えられないワクワクが詰まっていた。思い返せばそのワクワクを味わわせてくれたのは、野球を観ることを仕事にする前の球場のほうが多かった気がする。憧れのプロ野球選手がウロウロする試合前のグラウンドも、アサインされるだけで誇らしい記者席も、試合後の選手の話を聞けるベンチ裏の通路も、取材パスがなければ立ち入ることができない。それでも、そうしたバックヤードとは無縁だったころの球場に胸が高鳴っていたのは、知らないからこそ思い描いた世界に未来の自分を重ねていたからなのかもしれない。
その“未来の自分”とは野球選手ではなく野球記者――実際は記者という仕事ではなかったが、スポーツ番組のTVディレクターとして、あるいは野球を描くフリーランスのベースボールライターとして、球場のバックヤードで選手と空気を共有させてもらう未来は本当にやってきた。野球好きとして初めてプロ野球の公式戦を観た静岡草薙球場でも、野球好きとしてもっともたくさんの試合を観たナゴヤ球場でも、仕事の名を借りて(笑)、ワクワクする空気を幾度となく共有させてもらってきた。
草薙の記憶は、2016年4月1日――この日、プロ4年目の21歳、ピッチャーの
大谷翔平が静岡草薙球場のマウンドへ上がった。二刀流が花開き、ピッチャーとDHの両方でベストナインを獲得することになるこのシーズン、そのきっかけが草薙にあったと話していたのが当時の
栗山英樹監督だ。
栗山監督は大谷へ・・・
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