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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「横浜連覇の1998年 夏大逆転劇の真実とは」

 

98年夏の甲子園準決勝。横浜高が8回6点ビハインドからの大逆転でサヨナラ勝利。明徳義塾高バッテリーはグラウンドにうずくまって泣き崩れた[写真=BBM]


松坂が腹を立てた8回裏の監督の言葉


 先週のこの欄でも綴ったが、横浜高校が4季連続となる今年の夏の甲子園出場を決めた翌日、ある取材で渡辺元智に会った。横浜の監督を47年にわたって務め、2015年に勇退した渡辺には、その日の取材テーマとは別に、ぜひ訊いてみたいことがあった。

 それは1998年の夏、甲子園の明徳義塾との試合でのことだ。あの夏はPL学園と戦った準々決勝の延長17回、決勝の京都成章との試合で松坂大輔がやってのけたノーヒットノーランが目立っている。しかし、松坂が先発しなかった明徳との準決勝での大逆転劇も、横浜、春夏連覇の物語の重要なエッセンスとなっていた。

 準決勝の明徳義塾との試合、PL戦で250球を投げた松坂は右腕にテーピングを巻いたまま四番・レフトで出場、先発は2年の袴塚健次に託された。しかし袴塚は失点を重ね、横浜は中盤で0対5とリードを広げられる。8回には2年の斉藤弘樹が打たれ、万事休すと思わせるには十分な6点差――8回裏の横浜の攻撃を前に、渡辺監督は円陣の真ん中で思いもしないことを口にした。松坂が言う。

「点差は6点、8回裏……監督は『お前ら、座れ、いいか、6対0じゃ、計算上は逆転できない、もう無理だからあと2回はお前らの野球をやれ。勝たなきゃいけないプレッシャーの中でやってきたんだから、あと2回は好きなように甲子園を楽しんでこい』と言ったらしいんです。いや、すみません(笑)、この話は後からみんなに聞いたので言葉は正確じゃないかもしれません。僕はブルペンで肩を作っていて、円陣には加わっていませんでしたから……」

 じつは松坂は8回よりも前・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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