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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「“離島の怪童”から進化し続ける剛腕」

 

今季はチームトップの10勝、防御率1点台と先発の柱として好投を続けている[写真=高原由佳]


なんでもできる化け物みたいな選手


 彼を初めて見たのは2016年6月18日のことだった。青空が広がる梅雨明けの沖縄で、甲子園をかけた夏が始まる。沖縄大会の開会式が行われたその日、八重山対八重山商工の“石垣島ダービー”が実現した。そんな一戦で衝撃を受けたのは、思いっ切りバットを振る2年生だった。それが八重山商工の背番号7、平良海馬だ。

「石垣島の小学校で野球を始めたとき、僕は最初、キャッチャーでした。だから子どものころ、ロッテの石垣島キャンプを見に行ってキャッチャーの里崎(里崎智也)さんのことをメッチャ見てましたね。僕のヒーローは里崎さんでした」

 0対0で迎えた6回表、八重山商工はツーアウト一、二塁で三番の平良がバッターボックスへ向かう。2年生ながら投げれば140キロを超える球速をたたき出し、打てばとんでもない飛距離のホームランを放つ“離島の怪童”として、当時から彼はその名を馳せていた。八重山ポニーズで平良の一つ上だった八重山商工のキャッチャー、前粟藏知弘がこう言っていた。

「海馬は子どものころから化け物みたいな選手でした。試合に出ればホームランは打つし、ピッチャーとして投げればとんでもないボールを投げる。そのくせ器用で、変化球も曲がるし、守備も上手い。なんでもできるんです」

 平良はこの場面、フルカウントからの8球目を真芯で捉えた。あのときの“キンッ”という甲高い金属音は今も耳に残っている。ライトスタンドへ突き刺さる、弾丸ライナーの先制3ラン。平良の一発で試合を優位に進め、8対2で“石垣島ダービー”を制した八重山商工だったが、しかしこの夏、八重山商工は甲子園へは辿り着けず、エースとしてマウンドに上がった3年の夏も沖縄大会の初戦で敗れる。平良は結局、甲子園の土を踏むことはできなかった。

「バッターとしての僕は当たればメッチャ飛ぶんですけど・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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