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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「“日本一請負人”が説く短期決戦の戦略と戦術」

 

監督として挑んだ日本シリーズは5度とも日本一に。2020年はリーグ優勝を果たして3年連続日本一もつかみ取った[写真=BBM]


結び直された名古屋との縁


 工藤公康と出会ったのは今から45年前――工藤が18歳、のちのベースボールライターは17歳。つまり出会いと言っても一方的にこちらが見かけたというだけの話だ(笑)。名古屋電気高校(現在の愛工大名電)の工藤といえば1981年、夏の甲子園でノーヒットノーランを達成し、名電をベスト4にまで押し上げたエースとして、名古屋の街ではよく知られた高校3年生だった。

 名電は地下鉄東山線の池下駅にあって、同じ東山線の星ヶ丘駅にはのちのベースボールライターが通う菊里高校があった。工藤の一つ下だった菊里高校の2年生は、池下駅で見かけた通学途上の工藤の姿に憧れの眼差しを向けていたのだ。その後、ドラフトでライオンズに指名されてプロ入り、埼玉から福岡、東京、横浜を渡り歩く稀代の名投手として工藤は29年、635試合に投げて224の勝ち星を手にした。監督としても福岡で7年、ホークスの指揮を執って5度の日本一を成し遂げた。しかしながら、生まれ育った名古屋とはずっと縁がなかった。

 それが45年の時を経て、工藤と名古屋の縁が結び直された。ドラゴンズOBではない監督ではあるが、45年前の夏を記憶に留める名古屋人にとっての工藤は、今も同郷の士だ。初戦の長崎西戦でのノーヒットノーランはもちろん衝撃的だったが、その次の試合で・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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