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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「恩師の思いを受け継ぎ松井巨人が船出」

 

第一次監督時代には背番号90を着けた長嶋監督。松井新監督は恩師の思いを受け継ぎ、自身の現役時代の背番号「55」と「35」を足した「90」を背負って指揮を執る[写真=BBM]


90番にまつわる2つの縁


 松井秀喜がジャイアンツの監督となった。背番号は90――これは長嶋茂雄が現役を引退し、監督となった1975年からつけていた背番号だ。『クリーン・ベースボール』をキャッチフレーズに掲げた長嶋監督1年目。3月からの2次キャンプがアメリカのベロビーチで行われたこともあって、当時の野球雑誌の表紙にはフロリダの青空のもとで撮られた39歳の長嶋監督の写真が溢れていた。

 サンフランシスコ・ジャイアンツを模して『GIANTS』の胸マークを花文字からゴシックに変えた新しいジャイアンツのユニフォームに、背番号90をつけた精悍な青年監督は、スーパースターが引退した寂しさを上回る期待感を振り撒いてくれた。

 しかし“選手・長嶋茂雄”の抜けたジャイアンツを率いた“監督・長嶋茂雄”の1年目は、球団史上初の最下位に沈む。そこで監督2年目の長嶋は、打線にファイターズからトレードで獲得した張本勲を加えてON砲からOH砲への転換を図り、最下位からのリーグ優勝を成し遂げた。日本シリーズでは(阪急)ブレーブスに3連敗を喫してから巻き返し、タイにまで持ち込んだものの第7戦で敗れ、日本一にはなれなかった。

 監督3年目の77年も、王貞治の756号(ハンク・アーロンの数字を超えるホームラン世界一)で盛り上がる中、ジャイアンツは独走でリーグ連覇を果たすも、日本シリーズでは黄金時代のブレーブスに1勝4敗で敗れ、またも日本一を果たすことはできなかった。松井はそのことを背番号90を選んだ理由のひとつに挙げた・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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