日大時代の佐藤氏
ひたすら殴られた
日大三高では甲子園には出られなかったから、プロから声なんて掛けられなかったし、こっちも入れるなんてまったく思ってなかった。
ただ、野球は続けたかったから、系列の日大に進んだ。学部は、いくつか候補があった中で、経済学部を選んだんだ。おふくろからは「不経済ばかりしているのに何が経済学部だ」って言われたけどね(笑)。でもさ、大学では先輩に「お前は何学科だ!」って言われて、「経済学部経済学科です!」と答えたら「違う! お前は硬式野球部投手科だ」って言われ(笑)、授業に行くと殴られたからね。荒っぽい時代さ。
秋田明大(学生運動家)とかいて、日大は学生運動が盛んな時代でもあった。校内のあちこちに椅子や机を積み上げたバリケードがあったりね。運動部は学校側だから、野球部もレギュラーになりそうもないヤツらは、よく応援で駆り出されていた。交通費もらえるし、練習を休めるからみんな喜んでたよ。こっちは手を出せないから、相手に殴られたりもあったみたいだけど、俺らは殴られるのは慣れてるしね(笑)。
1年のときは、とにかく殴られた。理由はなんでもあり。東京だから家から通っていたけど、日大は部員がたくさんいるんで、寮も一軍、二軍、三軍と3つあった。これだけ人数いると私服で街で会っても分からないよね。次の日に、「きのう、お前はなんであいさつしなかったんだ」って殴られたこともある。勘弁してよ、だね(苦笑)。
俺らは日大三高から来たから・・・
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