
1973年プレーオフ、佐藤氏が胴上げ投手のはずだったが……
頭をピシャリと
この間、サッチーさん(沙知代夫人)の話を少ししたけど、サッチーというのは、あとからついたもので、俺らは「マミー」と呼んでいた。テレビに出てたときの印象もあって、怖いとか、悪妻とか、いろいろ言われた人だけど、俺はよくしてもらったし、ほんと優しい人だよ。
マミーというのは、沙知代さんが自分から言い始めたんだ。いつだったかな。野村(
野村克也)さん(兼任監督)の家に麻雀に呼ばれたとき、漫画家の水島(新司)先生とマミーがいて、俺がそばにあったお酒を見つけて「ママ、これ飲んでいいですか」って言ったら、「ミチ、ママじゃないでしょ。マミーでしょ」と怒られたこともあったな。
そうそう、野村さんは麻雀が下手でね。いつものっそりとパイを出すんだけど、後ろで見ているマミーに「あんた、遅い!」と頭をピシャリとはたかれたことがあった(笑)。監督は「いてえなあ」と言いながら苦笑いしていたよ。そのとき、俺は当時のヨメさんと一緒に来ていたんで、彼女に「おい、ちょっと水割りつくってくれる?」って言ったら、マミーがまた「ミチ、男の強さはね、女性に優しくすることなのよ。この監督の教えが悪いから、こんな子ができる」と言って、また野村さんの頭をピシャリ(笑)。それでも別に怒ることもなく、野村さんは困ったような顔をしていた。いつも野村さんが言われっぱなしだったけど、本当に仲のいい、お似合いの夫婦だったと思っていた。
あらためて1973年の話に戻ろうか。あの年、パ・リーグが初めて前後期制にして、南海は前期に優勝したけど、後期はまったくダメだった。順位は3位だけど、負け越していたと思うよ(30勝32敗3分け、日拓と3位タイ)。後期優勝は阪急が独走で、それも南海のせいというのかな。対戦成績が12敗1分けだから散々でしょ。あの年は・・・
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