
イラスト=イワヰマサタカ
最近のプロ野球の背番号0には、一軍と二軍を行ったり来たりして代走で出てくる選手の番号というイメージがある。しかしかつて、1980年代から90年代にかけては、最初に公式戦で背番号0をつけた
広島の
長嶋清幸をはじめ、
日本ハムの
松浦宏明や
巨人の
川相昌弘、
ロッテの
初芝清など一線級の選手が背負う番号だった。今は大きい番号が格好良かったりもするので、以前のような存在感はなくなってしまったようだ。
これはアメリカも同じらしい。MLBの背番号0の第1号は、終身打率.303の好打者アル・
オリバーだ。ピッツバーグ・パイレーツからトレードでテキサス・レンジャースに移籍した78年に背番号を0にした。その由来については、オリバー(Oliver)のイニシャルO(オー)からとったというのが定説だ。確かにアメリカではイニシャルOの選手がつけているケースが多い。
先日、
大谷翔平のロサンゼルス・エンゼルスが、
ボストンのフェンウェイ・パークに遠征したときに、ボストン・レッドソックスの中継ぎ投手として数試合登板したアダム・オッタビーノ(Ottavino)の背番号も0だった。この人のイニシャルもO(オー)だ。コロラド・ロッキーズに在籍中の2013年に背番号を37から0に変えた。そして18年にFAでニューヨーク・
ヤンキースに移籍。しかしトレードで今シーズンからレッドソックスの一員となった。
ヤンキースの一ケタの背番号は、17年にデレク・ジーターの2が永久欠番に指定されて0以外なくなった。
ただしこの時点では、ヤンキースには過去にさかのぼっても背番号0をつけた選手はいなかった。17年当時、地元紙ニューヨーク・タイムズ紙がヤンキースのブライアン・キャッシュマンGMに、背番号0を採用しないのは、背ネームつきのユニフォームや長髪ヒゲ、スタンドをうろつくマ
スコットなどを排除しているのと同様の球団のポリシーなのかと質問して記事にしていた。質問に対するGMの答えは「排除はしていない。そもそも私は、アル・オリバーは好きな選手の一人だ」。この翌年の18年。ヤンキースにアダム・オッタビーノが移籍。球団史上初の背番号0を背負った。ユニフォーム史的にはエポックメイキングな話なのだが、ヤンキースはそんな選手をわずか2年でトレードで放出。やはりアメリカでも背番号0の存在感は薄い。
タイムズの記事では元祖背番号0のアル・オリバー本人にも取材していて、意外な話も聞き出していた。
「よくオリバーのイニシャルから0を背番号にしたと言われるが違う。私はトレードで突然、新しいリーグと街に行くことになった。0(ゼロ)からやり直すために0にしたのだ」
なんと定説とされたイニシャルO(オー)説はフェイクだったようだ。(文=綱島理友)