イラスト=イワヰマサタカ
プロ野球史の中で最も活発に選手の移籍が行われたのは1950年のセ・パ2リーグ分立時だったのではないかと思う。何しろ組織が2つに割れて統制できなくなってしまった。無政府状態に陥った球界では、選手の仁義なき引き抜き合戦が繰り広げられた。
そんな中「鯨の2、3頭も余計に捕ればスター選手の20人、30人雇うのは何でもない」と豪語したのが新設球団、まるは大洋ホエールズ(現
横浜DeNAベイスターズ)の中部兼市オーナーだった。まだ、戦時下と戦後の食糧難の記憶が生々しい時代、中部が社長を務める大洋漁業は・・・
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