イラスト=イワヰマサタカ
士通スタジアム川崎で川崎球場時代の照明塔2基が今年に入って撤去された。昭和の球場構造物が、またひとつ姿を消した。川崎球場の竣工は1952年。地元工場地帯の大企業の共同出資で建設された。当時、セ・リーグ2球団(
巨人、国鉄)、パ・リーグ3球団(東急、大映、毎日)が後楽園球場を本拠地にしていて、スケジュールが過密化。首都圏の新球場は歓迎された。当時セ・パ両リーグはともに対戦カードを作ると必ず1球団余る奇数7球団制。チーム数の偶数化が懸案だった。
私の手元には54年1月28日発行の「ベースボール・リーグ・ウィークリー」というタブロイド紙があるのだが、当時の球界再編話が記事にまとめられていて興味深い。
川崎球場誕生の52年1月。毎日の球団担当重役の黒崎貞治郎と、読売の安田庄司副社長が会談し、セ・パが合併して14球団総当たりしたらどうかと話し合っている。これをスポーツ各紙が報道。騒ぎになるが・・・
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