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綱島理友のサブカルノート

ベースボール百科「メジャー・リーグより早かった新庄剛志の電光カスタムベルト」

 

イラスト=イワヰマサタカ


 前回、メジャー・リーグで流行りつつあるカスタムベルトを取り上げた。球団支給とは別に、選手が自己主張として独自にオーダーしているベルトで、チームカラーとまったく違う色が使われていたりする。

 で、日本のプロ野球でやったら許されるのかNPBにも聞いてみた。

「ベルトについてのルールはない」そうだが、チームカラーと違うベルトをしたら、ユニフォームの統一規定があるので、「注意されるでしょうね」という順当な返答だった。

 しかし過去はどうだったのか?

 で、今回は日本プロ野球ベルト史を追いかけてみることにした。

 今年は現在のプロ野球が誕生して90周年だが、そのきっかけとなったのが戦前の31年と34年に行われた日米野球である。実はこのときのベルトが興味深いのだ。ベーブ・ルースやルー・ゲーリックの全米オールスター、沢村栄治らの全日本のユニフォーム。ともにベルト部分が今の形と少し違う。前方真ん中に細いベルト通しが1つ付いていて、ベルトはバックル部分を横の位置に持ってきて締めている選手が多いのだ。この理由については、バックルが前にあると、ヘッドスライディングやダイビングキャッチをしたときに、腹に当たって痛いからという話を、当時の日米野球に参加した苅田久徳さんから聞いたことがある。

 現在のプロ野球における第1号の球団、読売ジャイアンツの前身だった大日本東京野球倶楽部が35年に行った第1次アメリカ遠征のユニフォームもこのスタイルだったが、東京巨人軍と改称して出かけた翌36年の第2次アメリカ遠征のユニフォームは真ん中のベルト通しがなくなっていた。このあたりからベルトのバックル部分の裏側に、革のバックル受けのクッションが採用され、バックルを体の中心部に持ってこられるようになったようだ。

 しかし真ん中のベルト通しは、完全に消えたわけではなく、左側に移動して細いベルト通しが2本あるスタイルとなる。60年代あたりまで市販のユニフォームでは細いベルト通し2本は左側だけが多かったが、今は左右ともに2本が主流だ。

 初期のころのベルトの色は茶色または黒で、50年代まではどちらかというと茶色が主流だった。

 戦後すぐの野球雑誌に目を通していて驚いたのが、南海ホークスの笠原和夫鶴岡一人監督が独自の飾りバックルを付けていたことだ。ほかの選手は付けていないので、当時のカスタムベルトだったようだ。

 ベルトの色は50年代の後半あたりから黒が主流になる。

 カラーベルトは63年の国鉄スワローズの採用が第1号。バックルで留める部分が赤い革で、本体は赤と紺のツートンだった。ベルトのカラー革命第1号が国鉄だったのはちょっと意外だ。その後、広島東洋カープロッテオリオンズなど他球団にも広がり、80年に西武ライオンズが採用した白も強烈だった。

 そしてベルトについて考えていて思い出したのが、2006年のオールスター・ゲームだ。新庄剛志の電光掲示板ベルト。これを忘れちゃいけない。スイッチを入れると「FAN IS MY TREASURE!!(ファンは俺の宝物)」などの英文メッセージが流れた。これぞ自己主張の元祖カスタムベルト。さすが新庄剛志。メジャー・リーグの先を行っていた。(文=綱島理友)
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プロ野球意匠学研究家・綱島理友氏によるユニフォーム解説をチェック。

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