
72年甲子園の阪神戦で100勝目を挙げた筆者
江夏とのライバル関係
4月1日から東京ドームで行われた
巨人・阪神戦。3日の試合で阪神の開幕9連敗が決まったのを見て、今回のコラムは「伝統の一戦」について書きたくなった。
この3連戦は、両チームの共同プロジェクト「伝統の一戦」ということで、両チームが1936年(昭和11年)当時の復刻ユニフォームを着用して戦った。巨人は34年(昭和9年)「大日本東京野球倶楽部」を立ち上げ、球団名・東京巨人軍を発足し、阪神は35年(昭和10年)「株式会社大阪野球倶楽部」を立ち上げ、球団名・大阪タイガースを発足した。そして、プロ野球が1リーグでスタートした36年、東京・洲崎球場(現在の江東区)で、初代日本一を巨人と阪神で争ったことが「伝統の一戦」の始まりとされている。当時と同じく復刻されたユニフォームの背中には選手の名前は記されていない。背番号は選手の顔とも言われるし、これはこれでいいんじゃないかな。
巨人と阪神との戦いが「伝統の一戦」と言われ続けるのには、その名に恥じないような熾烈(しれつ)な戦いを繰り返してきたからとも言えるだろう。俺の現役時代、特に巨人V9時代(65~73年)の9年間で阪神が5回(68、69、70、72、73年)2位になっている。振り返ってみても、しびれるような試合が多かった。首位争いが激しくなると、それに比例するかのように、俺の登板数も増えてくる。阪神との3連戦があれば、先発とリリーフで登板した。
川上哲治監督が後日こう言っている。
「V9のときは、毎年タイガースが強くてね。村山(
村山実)、江夏(
江夏豊)がどうしても打てない。しかし私は・・・
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