
80年オフの200勝達成の祝賀パーティー。左から金田正一氏、筆者、王氏
俺の引き際の美学
1980年(昭和55年)6月2日。さて、この日は何の日か分かるかな? 分かった人は相当な堀内マニアだね(笑)。この日は、俺が200勝した日。最初から「200」なんて大きな数字を目指していたわけじゃなくてね。目の前の1勝のために、がむしゃらにやってきた。自分の勝利数よりも、まずはチームの1勝。その積み重ねが200となればいい。そう思っていた。
自分のピッチングに衰えを感じ、エースとしての役割が果たせないと感じ始めたとき、引退の二文字が脳裏にちらついた。打たれるのは怖くない。でも「投げるのが怖い」。そう思ったら落ちるのも早い。「このボールを投げたら、こう打つだろう」という予想と違う打たれ方をすると、投げるのが怖くなるんだよ。自分のボールに自信が持てなくなる。
俺の引き際の美学は、過去の栄光とユニフォームにしがみつき、ボロボロになるまで野球をやるのではなく、
「まだ勝てるのにもったいない」
そう惜しまれながらユニフォームを脱ぎたいとずっと思っていた。
そんな俺に転機が訪れる。
76年南海ホークスに移籍した
江夏豊が野村(
野村克也)監督の説得に応じて先発投手をあきらめ、試合終盤の2~3回だけを専門に投げるリリーフ投手に転向した。これには理由がある。江夏は・・・
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