
沢村栄治は「記憶」に残る伝説の投手だが、プロ野球では「記録」も重要だ
今年は、プロ野球創設90周年という節目の年である。東京読売
巨人軍の前身となる大日本東京野球倶楽部が結成されたのは、1934年12月26日のことだった。
その年秋に来日したルー・ゲーリッグ、ベーブ・ルース(いずれも
ヤンキース)を中心とする全米チームを迎え撃つために全日本チームが結成された。
全日本チームのあとを受けて結成された大日本東京野球倶楽部のエースは、沢村栄治さんだった。夏の甲子園大会が終わると、京都商業を中退して全日本チームの一員となった沢村さんが、11月20日に静岡・草薙球場で全米チームを相手に、快投乱麻の投球を披露している。
6回まで2安打、7奪三振、無失点。0対0で迎えた7回にゲーリッグにソロ本塁打を打たれて、惜しくも敗戦投手になった。だが、“スクールボーイ”と呼ばれた沢村さんの投球は、メジャーを代表するスター軍団のハートを熱く揺さぶったことは言うまでもない。
大日本東京野球倶楽部がプロ野球の起源となった。だから「巨人のエースは、日本のエース」。そして・・・
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