通算317勝は歴代4位の素晴らしい成績だが、それと同時に238敗も同5位と多い。1970年代初めは弱小チームに過ぎなかった近鉄。2ケタ敗戦も多かった鈴木啓示だが、新たな指揮官との出会いで意識が変化した。 写真=BBM 週刊ベースボール 別冊冬桜号 よみがえる1970年代のプロ野球 EXTRA(2) パ・リーグ編
2022年12月27日発売より 
不動のエースとして、1970年代には174勝をマークした
新指揮官に否定されて
プロ2年目に21勝をマークした鈴木啓示は一気にエースの座をつかみ、1969年には24勝で初めて最多勝のタイトルを手にした。71年に21勝を挙げると、これで5年連続20勝超えを記録。だが一方で、敗戦の数も多かった。チームは70年から3、3、2位とAクラス入りもあったが、リーグ優勝は遠いまま……。また、鈴木自身も72年に14勝15敗、73年に11勝13敗と負けが先行する低迷期に入ってしまう。そんな状況の中、新たに指揮官となったのが西本幸雄だった。そして、鈴木にとって一つの転機となる出来事だった。
「お前、20勝するのもええけど、同じするなら負け数を1ケタにしてくれ。でないと強いチームのエースにはなれん」。最初に掛けられたこの言葉は鈴木の胸にズシンと響いたが、一方でこんな思いも抱いていた。西本は阪急の黄金時代を築いた名将だ。鈴木は「阪急で勝つのと近鉄で勝つのはちゃいまんねんで。21勝15敗だったら、それで勝ち越しですよ」と主張する。だが、指揮官は「そんなんじゃあかん」と聞き入れてくれなかった。
その関係性にヒビが入りかけたこともあったが、それが決定的にならなかったのは、西本監督が指導者として熱い心を持っていたからだ。「いきなり注文されて腹がたったんですけど、考えてみれば、それだけ熱があるから言ってくれる。怒ってもらえる人がいるのは幸せなことです」。
当時の鈴木は・・・