ドラフトの順位は8位。高専から独立リーグに進みたどり着いた最高峰の世界で見事に成り上がった。今季は日本記録であり、世界記録でもある50試合連続無失点を達成して、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。リリーフ右腕の原動力は背中を支える数多の温かい手だ。 文=田中政行[デイリースポーツ] 写真=井沢雄一郎 
8月13日の広島戦[マツダ広島]で39試合連続無失点のプロ野球タイ記録を達成し、小さくガッツポーズを見せた
傷心を癒やした“故郷”の風
上から幾重にも重なる人波を眺めながら、
石井大智はまだ心から喜べないでいた。11月21日。大阪・御堂筋の優勝パレードには20万人のファンが集まった。故人の遺影を掲げながら沿道で手を振る人、涙を流しながら拍手を送る人。「ありがとう」――の声が飛ぶ。見せたかった、見せられなかった悔痕が脳裏を巡った。一言、一言、かみ締めるように、深く胸に刻むように口を開いた。
「今年は手を振りながら、すごく申し訳ないなと思いました。最後に自分が打たれて負けてしまった。日本一になっていたら、もっと喜んでもらえたと思う。本当に申し訳ない気持ちになりました」
歴史的な活躍を遂げた1年は、最後の最後に悔し涙を流す結果で幕を閉じた。
10月30日、甲子園で行われた日本シリーズ第5戦。1勝3敗と崖っぷちに立ったチームは2点リードで8回を迎えた。
藤川球児監督は迷わず石井を投入。盤石リレーで逃げ切りを狙ったが、一死一塁から
柳田悠岐に同点2ランを浴びた。シーズン被本塁打は「0」。あまりにも見慣れない光景に球場のファンも一瞬、言葉をなくした。思わぬ形で方程式が崩れるとチームは延長戦で敗れ2年ぶりの日本一を逃した。マウンドでは常にポーカーフェースの右腕が試合後、人目をはばからず黒土に涙を落としていた。
ただ、そんな傷心を癒やしたのは“故郷”の風、温かさだった。11月10日。高知市内で「高知県
阪神タイガース優勝記念パレード」が開催された。同県出身の藤川監督らに並び、四国IL/高知に在籍した石井、
ラファエル・ドリスらも参列。市内中心部のアーケードには約1万3000人が集まり、藤川監督はスピーチで言葉にならず男泣きした。石井は「温かく優しい高知県民にすごく助けられた。ここまで成長することができました」と感謝。「来シーズンのリーグ制覇、日本一に向けて今年の悔しい経験を糧に、オフシーズンは修行を重ねてチームの力になれるように頑張りたい」と話し、再出発の決意を新たにした。
マイクを持ち繰り返したのは「修行」。その言葉は石井の野球人生につながる。振り返れば順風満帆だったわけではない。それどころか野球は中学でやめるはずだった。時計の針を戻す。旭川小3年生時、姉の友人に誘われて野球を始めた。3歳のころ、テレビで見たオリンピックの体操競技をマネしていきなり側転ができたほどの身体能力。野球でもメキメキと実力をつけ、「あの学校にすごい投手がいる」と町内でウワサされるほどだった。
卒業文集に書いた夢はプロ野球選手。だが、あの日……街は一瞬にして違う景色を映した。2011年3月11日。東日本大震災は多くの命を奪い、人々の夢を壊した。中学1年生の春だった。
「何が起こったか分からなくて。めまいで倒れたのかと思いました」
地震発生時、トイレにいた石井は、強烈な揺れを全身に受けた。電車は止まり、家に帰れば停電。秋田県も被害を受けたが、のちにテレビで見た岩手県、宮城県などの大津波に言葉をなくした。
「これは、ひどいな」
倒壊した家々を見て決心した。石井が描く将来も180度の方向を変える・・・
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