
03年にア・リーグMVPを獲得したアレックス・ロドリゲス。1位票は10人に投票されていたこともあり、わずか6票[28票中]だった。もし、WARが今のように判断材料として頼られていたら、満票だったかもしれない
MLBのナ・リーグとア・リーグでMVPが2年連続でそろって満票で選ばれた。これはとても珍しい事態だ。そもそも満票が珍しかった。1940年代は0、50年代は2度。60年代は3度、70年代が1度、80年代が2度、90年代が4度、2000年代が2度、10年代が2度である。それが20年代は5度である。
同じシーズンで両リーグともに満票というのは23年が初めてで、2年連続となった。1つ目の理由はまずは二刀流の
大谷翔平が唯一無二の存在だということだろう。それは確かだ。
2つ目はセイバーメトリクス運動の影響が大きい。野球はポジションによって役割が違うし、個々の選手でプレースタイルも異なるし、球場もディメンションが一定ではない。打撃、投球、守備、走塁といった異なる動きを、公平に評価するのが難しかった。記者によってMVPについての考え方も異なっていた。「最も価値ある選手」の価値とは何なのかである。
3つ目は、インターネットが普及する前は、ほかの町の試合を映像で見ることは難しいし、得られるデータも限られていた。野球記者は自分の担当するチームのことはよく知っているが、ほかのチームについての知識は限られていた。
有名なケースは1967年。ア・リーグ三冠王のレッドソックスのカール・ヤストレムスキーが満票かと思いきや、ミネソタの記者が地元ツインズの野手セイザー・トーバーに1位票を投じた。打率.267、6本塁打、OPS.691だったが、内野、外野で6つのポジションを守り、勝利に貢献した。あまり見ていないヤストレムスキーより、自分の目で見たものを優先した。
実際、投票結果を詳細に見ると、以前の1位票はよりばらけていた。40年代はア・リーグ、ナ・リーグ合わせて1位票が10人以上の選手に与えられたことが6度もあった。特に47年はナ・リーグだけで10選手に1位票が与えられた。50年代は4度、特に51年は両リーグで16選手に1位票が与えられていた。
近年でもそういったことがあった。2003年のア・リーグMVPはアレックス・ロドリゲス(レンジャーズ)が獲得したが、カルロス・デルガド(ブルージェイズ)、ホへ・ポサダ(ヤンキース)、デビッド・オルティス(レッドソックス)、シャノン・ステュワート(ブルージェイズ、ツインズ)など10人に1位票がばらけた。
今ならWAR(Wins Above Replacement/打撃、走塁、守備、投球を総合的に評価して、選手の貢献度を表す指標)で圧倒していたロドリゲスに票が集中していただろう。だが当時はWARを信じる記者はほとんどいなかった。打点が多かったデルガド、101勝のヤンキースの攻守の要ポサダ、打率の良かったステュワートなどに散らばった。
しかし近年は、記者たちは異なるポジションの選手でも比較できるWARに頼るようになった。加えてMVP選手は弱いチームからでもいいし、セイバーメトリクスの研究成果を信じ、打率や打点はあまり重要ではないし、盗塁数、守備、1イニングしか投げないリリーフ投手を過大評価することもなくなった。よきにつけ悪しきにつけ、多くの記者が同じ考え方をするようになった。MLBで最後に1位票がア・リーグとナ・リーグを合わせて2ケタ以上に散らばったのは11年(10人)。以後はおおむね各リーグ2、3人に集中している。
文=奥田秀樹 写真=Getty Images