
トルピードバット[魚雷バット]を使って3月29日のブリュワーズ戦で本塁打を放ったベリンジャー。長い間でも珍しい新しいバットの登場で、これからどれだけの本塁打が生まれるのか、また野球がどう変わるのか、今後に注目が集まる
ヤンキースが開幕直後の3試合で15本塁打を量産したことで、「トルピードバット(魚雷バット)」が話題になっている。バレル部分(打つのに最も適した部分)がバットの先ではなく、手元により近い位置にあるのが特徴。ヤンキースのアナリティクス部門がアンソニー・ボルピーの打撃を分析したところ、打球を従来のバレルの位置ではなくラベル部分(バットの商標が入ったエリア)で打つことが非常に多いのに気づいた。
そこで、ラベル部分により多くの木材を使った特注のバットを作成した。ボルピーだけでなくジャズ・チザムジュニア、コディ・ベリンジャーなどチームメートも利用。カスタマイズされ、その打者が最も頻繁にボールとコンタクトする場所を、バットの最も密度の高い部分とするのである。バットを開発したのがアーロン・レアンハートだ。マサチューセッツ工科大(MIT)で物理学の博士号を取得、2007年から14年までミシガン大で物理学教授を務めた。ところがその知識を大好きな野球の現場で役立てたいと考え、17年に独立リーグのコーチとなり、18年にヤンキースに採用された。そして22年から傘下のマイナー球団でこのプロジェクトを開始した。
個人的に思い出すのは03年春、フロリダのキャンプ地で当時話題になっていたコウモリマークのサムバットの生みの親をインタビューしたことだ。サム・ホルマンはそれまで一般的だったホワイトアッシュの代わりにメープルでバットを作り、01年バリー・ボンズがシーズン73本塁打の大記録を打ち立てたことで、有名になった。
この人も異色の経歴だった。サウスダコタ州の田舎町出身で、若いころはいろんな仕事に就いたが長続きしなかった。カナダ人女性と結婚してオタワに移住、大工となり、ナショナルアートセンターで舞台係を22年間務めた。50歳になるころ、行きつけのパブでコロラド・ロッキーズのスカウトから「最近のバットは傷みやすい。大工なら木材に詳しいだろう」と依頼され、本人曰く「神の啓示を受けた」のである。
図書館でバットについて一から勉強し、北米産の材木を一つひとつ吟味し、サムバットを生み出した。しかし販売はうまくいかない。専門誌に広告を出しても注文が来なかった。それが1997年に当時ブルージェイズにいたジョー・カーターが打撃練習で使用して気に入ってくれた。翌98年カーターはジャイアンツに移籍、その紹介で99年の春のキャンプでボンズに会い、使ってくれるようになった。サムバットはボンズの打棒とともに注目度がうなぎ上り、2002年は業界で売り上げ第3位になっている。
面白いのは、長い歴史を持つ野球のバットが、異色の経歴を持つ人によって変わるきっかけを得たこと。エンゼルスのロン・ワシントン監督は魚雷バットについて聞かれると「打球が詰まったら、どうやったら詰まらなくなるかを考えて(スイングで)対応するもの。だからバットの特定の部分に重さを増やそうとは思わなかった」と答えている。バットを変えようという発想にはならない。MLBでは投高打低が続くが、野球の娯楽性を高めるのに役立てばと期待したい。
文=奥田秀樹 写真=Getty Images