週刊ベースボールONLINE

the Challenger 挑戦者の決意2026

阪神・早川太貴インタビュー 異色からの払拭「投球の質を高めることで、一軍でも先発ローテを守れる投手になる」

 

元市役所職員。くふうハヤテから2025年、育成で入団。7月に支配下となり、いきなり先発で2勝を挙げた。異色の経歴を持つ右腕だ。独特の経歴同様に、独特の投球フォームで打者を翻弄するのも特徴だ。球界No.1と言われる虎の投手陣の中で、開幕から先発ローテーションの一角を狙っている。
取材・構成=椎屋博幸 写真=宮原和也


「やり切りたい」の一心で


 有名な高校に入り、強豪大学からプロ野球へ、という人生ではなかった。高校を卒業するまではプロへ行くことさえも考えられなかった。ただ、好きな野球をやり切りたい、という思いだけで続けた。中学、高校ではケガで、有終の美が飾れず、大学でも不完全燃焼。だが、その大学のときに、球速が上がりできるのではないかと思えるようになった。そこから野球人生が大きく変わっていく。

――プロ野球選手への夢は一度、消えかけていたこともあったのでしょうか。

早川 中学3年の最後の大会で肘を痛めて投げられませんでした。高校のときは実力もないな、と思ったので野球を後悔しないように、高校時代は終わりたいという思いでしたが、高校3年生のときは夏の大会2、3週間前に骨折をしてしまったんです。大学生のときも最後にあまりいい形で終われなかった。節目、節目でいい形で野球を終われなかったんです。

――「やり切りたい」と思った矢先に、いろいろな障害が、自分の人生に起こってしまった。

早川 それぞれで野球と真剣に向き合って、終わりを迎えようとしたときに……最後、やり切ったと思うことができなかったので「もっとできるんじゃないか」となって次のステップでも野球をやっていった感じです。その中で野球をやっている限りは、どういう投手になりたいか、ということを考えて真剣に取り組んでいました。

――そういうケガが続いたことで、自分の体とも向き合ったのでしょうか。

早川 はい。それが今考えると大きかったです。中学のときのケガでは、ストレッチの大事さを痛感したので、そこを重点的にやっていき、高校で骨折した後は、大学でウエート・トレを取り入れて、鍛えたことでいろいろな部位を意識して投げられるようになりました。

――柔軟性をつくり上げて、ウエートでパワーを。順番的にはいい流れになっていますね。

早川 そうです。逆だったらどうなっていたのか分かりませんね。やはりそこも野球が好きだったからこそ、続けられたと思います。大学卒業後に北広島市役所で働きながら野球を続けたのも、野球が好きだったということが大きかったですね。

――そのようなときにくふうハヤテが創設されます。

早川 大学4年のときに真っすぐが最速147キロまで上がったんです。実はそこで・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

キーマンインタビュー

キーマンインタビュー

チームにおけるキーマンに語ってもらう連載

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング