昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。「ミスターファイターズ」の田中幸雄さん編の最終回は、北海道に本拠地が移転した現役終盤の時代のお話をお聞きしました。 文=落合修一 
田中幸雄
チームの北海道移転に「行きたくないな」
──1998年にファイターズがシーズン途中まで首位を独走しながら失速した話の続きです。
田中 優勝しそうだったのに結局、できなかった。これで優勝できないならこの先、自分は優勝を経験せずに終わるのかなと頭をよぎりました。
──話は少し戻りますが、幸雄さんは97年オフにFA権を行使して、「宣言残留」をしましたね。他球団への移籍は考えなかったですか。
田中 出て行くつもりはなかったです。一生ファイターズにいたかった。入団の経緯を考えると大社義規オーナー、
大沢啓二さん(元監督)を筆頭にいろいろな方にお世話になって、ファイターズだったからここまでできたわけです。環境が変わるのが苦手だったというのもあります。球団から「要らない」と言われたら移籍を考えたかもしれませんが、そういうこともなかったので。
──球団に恩義を感じていた。
田中 FAをビジネスとして捉えることも間違いではないですが、僕はそう考えなかったですね。
日本ハムの本社の方々にはお世話になって今でも関係が続いていますから、ありがたいことですよ。
──2000年には
大島康徳監督が就任。
田中 大島さんも負けず嫌いで、勝つことへの執念はすごかったです。僕自身、大島さんが現役のときからお世話になっていたこともあり、胴上げしたい気持ちは特に強かったのですが……。いま思い浮かんだのは、大島さんが抗議のために試合中のベンチを飛び出したらふくらはぎの肉離れを起こした場面ですね(笑)。
──03年に就任したヒルマン監督との関係は良好だったのですか。
田中 日本語と英語で言葉が違うので、十分なコミュニケーションは取れないですよ。悪い印象はなかったですけど・・・
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