昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元阪急ほかの今井雄太郎さんの2回目は、1978年8月31日に達成した完全試合の話の続きと、その秋の日本シリーズについてお聞きしました。 文=落合修一 
今井雄太郎
完全試合なんてできるはずがない
──
前回のお話の続きです。1978年8月31日の
ロッテ戦(宮城)で完全試合を達成しました。27人の打者全員をアウトにするのですから、指名打者制での達成(今井が史上初)に一層の価値を感じます。
今井 ようできたなと思いますね(笑)。あの日はボール1個分だけ別のコースへ投げるのも自在だったし、バットを構えている打者を見て、「ここに投げれば大丈夫」と瞬時に分かる感覚があったんです。
──神がかっていたのですね。
今井 その感覚は、あの試合だけでしたね。同じ感覚をその後も追いかけていたら、ダメになっていたでしょう。あの日は調子が良かったけど、守備も良かったんですよ。内野ゴロが多かった(18個)。
──逆に奪三振は3。完全試合にしては少なかったですね。もう1つの指名打者制の完全試合(2022年4月10日、
オリックス戦=ZOZOマリン)、ロッテ・
佐々木朗希投手は奪三振が19個でしたから。
今井 僕はもともと、奪三振が少なかったんです。シュートで攻めてゴロを打たせるタイプのピッチャーだったから。性格的に強気だったら、もっと勝てただろうなあ(笑)。
──完全試合は何イニング目くらいから意識したのですか。
今井 「1人も走者を出していない」というのは最初から分かっていましたが、完全試合なんてできるはずがない。そのうち走者は出る。そう思っていたので、意識することは最後までなかったですね。
──あと1イニングになっても?
今井 はい。最終回が始まるときに捕手の中沢(
中沢伸二)さんが僕に・・・
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