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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

今井雄太郎(阪急ほか)インタビュー<3>21勝9敗、防御率2.93と投手2冠の好成績で阪急を優勝に導いた1984年「日本シリーズも楽勝だと思ったんだよ」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元阪急・オリックス、ダイエーの今井雄太郎さんのインタビューの最終回は、1980年代以降のお話をお聞きしました。
文=落合修一

今井雄太郎


21勝した1984年は「よく勝ったよね」


──プロ8年目の1978年に今井さんが初の2ケタ勝利(13勝4敗1セーブ)を挙げ、それから阪急の先発は山田久志さん、今井さん、佐藤義則さんの3本柱が形成されました。

今井 いやいや、山田さんと肩を並べたなんて思っていませんよ。全然違いますって。

──それでも81年に19勝15敗、84年に21勝9敗。リーグ最多勝を2回獲得しました。

今井 たまたま運が良かったんですよ。阪急は守備が良かったから。

──79、80年の2年間の梶本隆夫監督はどういう監督でしたか。

今井 投手出身だったから、投手に優しかった。「もう少し投げさせてやろう」と引っ張ってくれて。その点、(81年に監督復帰した)上田(上田利治)さんはスパッと交代させます。

──82年には西武の監督に広岡達朗さんが就任し、西武の黄金時代が始まります。

今井 阪急と西武が毎年のように優勝争いをしました。西武はいろいろな選手を集め、福岡のライオンズからの選手が新しい選手に入れ替わり、どんどん強くなりました。なんか、こすい(ずるい)やり方だったよね。高校生を転校させて練習生にしたり(伊東勤)、大学に行くと言っていた高校生をドラフト外で獲ったり……(秋山幸二)。

──どちらも熊本出身ですね(笑)。84年、阪急は6年ぶりに優勝しましたが、阪急も70年代の黄金時代とかなり選手が入れ替わりましたね。

今井 あのころはもう、ブーマーや松永(松永浩美)が中心だったからね。セカンドはバンプというのがいたんだけど、上田さんともめたんだよ(笑)。バンプはお父さんが大スター(モーリー・ウィルス)で本人も実績が豊富なメジャー・リーガーだったものだから、プライドが傷つけられたんだろうね。

──84年の三冠王、ブーマー選手の思い出はありますか。

今井 僕はシュートピッチャーだから相手の右打者の内角に投げて打ち取るわけですよ。そういうとき、ブーマーが僕のところに来て・・・

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