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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

島田誠(日本ハムほか)インタビュー<1>クラウン、阪神、ロッテ、日本ハムから誘われ、日本ハムを選択した理由「契約金の金額です」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。今回からは日本ハムファイターズで本当に「ファイター」だった島田誠さん。まずは、プロ入りまでの紆余曲折のお話です。
文=落合修一

島田誠


九州の炭鉱町で生まれ、大学中退から愛知県へ


──福岡県のご出身なんですよね。

島田 中間市という炭鉱町で生まれ、4歳のときにボタ山にボタ(岩石廃棄物)を捨てに行くトロッコの下敷きになる事故に遭いました。破傷風になったら命の危険があるので右腕を切断すると医者に言われたのですが親が抵抗し、破傷風になるかどうかの賭けに出て、勝ちました。それから私は左利きになったのです。

──野球はいつから始めたのですか。

島田 小1のときに学校の土手に座って青年団の野球の試合を見ていたらファウルボールが飛んできて、キャッチしたら「お前、うまいな」と言われて参加するようになり、小学生のチームがつくられました。勉強はできなかったけど毎日暗くなるまでボールを追いかけ、野球は楽しかったですね。

──中学では野球部ですか。

島田 中間北中の野球部です。入学時点では身長140cmくらいだったのですが中3になって160cmを超え、筋肉がつき、足が速くなってホームランを打てるようになりました。ある日、他校との試合で4打席連続本塁打を打ったら評判になったみたいで9校の高校から誘いが来ました。PL学園高の人が来たときは「島田誠君って、君か」と当時身長163cmだった私の体を見て、何も言わずに帰りましたけどね。

──それでも、大阪から強豪校がスカウトに来たのですね。

島田 しかし、誘いは全部断りました。地元の直方学園高(現在は廃校)に3つ上の阪口忠昭さんという幼なじみがいて、私が中3で彼が高3の夏(1969年)、直方学園高は甲子園に出られなかったものの、県大会の決勝に進出。阪口さんはその年の秋に西鉄(現西武)にドラフト3位で指名されました。私も直方学園高に一般入試で入りました。

──島田さんもプロになりたかったのですか。

島田 高校では外野のほかに嫌々ながら投手もやらされ、3年の夏の大会前に南海(現ソフトバンク)から投手として来ないかと話があり、プロ野球を意識するようになったのはそれからです。1年秋からセンターでクリーンアップを任され・・・

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